12月15日の聖光学院新講堂こけら落とし公演に向けて、《第九》の練習が始まりました。ファースト・ヴァイオリン ・パートの人たちは、一息ついていることでしょう。ついこの前まで練習していた《新世界》に比べて、《第九》は音域がずっと低いからです。

それにしても《新世界》のファーストは、高音域が多かったですよね。ト音記号の五線の中に納まっているのは数音だけで、ほとんどが上にあふれている段もありました。ボウイングを書き入れようにも、加線が何本も重なって五線と五線の間にすき間がほとんど無い。真ん中のドから3オクターヴ上のドも登場。ト音記号の上に加線2本を補ったドの、さらに1オクターヴ上です。日本語で4点ハ音と呼ばれるこの音が《新世界》の最高音かと思えば、さにあらず。第3、4楽章ではその上の4点ニ音(レ)も使われています。加線は6本! 何の音か、とっさに読めません。

一方、《第九》のファーストの最高音は、ドどころかその3度下のラ。第7ポジションまでです。《第九》に限らず、ベートーヴェンはヴァイオリン・パートでシ♭以上を避けています。

彼がこのように慎重だった最大の理由は、おそらく、当時の楽器が現在の、あるいはドヴォルジャークの時代と異なっていたためでしょう。19世紀初期にはまだ、弦楽器用の肩当てはもちろん、あご当ても無かったのです。あご当てを発明したのはシュポーア(1784〜1859)で、1820年ごろですが、一般に普及するまで時間がかかりました1。肩当ては、ピエール・バイヨ(1771〜1842)が1834年に「厚いハンカチかクッションの一種」を推薦したのが最初2

つまり、《第九》の時代のヴァイオリンやヴィオラは、(86) 見た! さわった!! ヴィオラ・ダモーレの図1のように、本体だけ。しっかりと挟み込んで楽器を構えることができず、不安定でした。これでは左手のポジション移動も制限されてしまいますし、高音域の演奏も容易ではありません。

もちろん、チェロのエンドピンもまだ考案されていませんでした。教則本がエンドピンの使用を初めて提唱したのは1880年頃3。それまでは基本的に、ヴィオラ・ダ・ガンバのように脚で支えながら演奏していたのです。両足で挟み込み、主に左のふくらはぎで支えるだけで中空に保つのですから、やはり楽器が安定しません。《第九》の最高音(ト音記号の五線の真ん中のシ)が《新世界》よりも3度も低い(2楽章の最後にレ♭が登場)のは、このような事情の反映と言えます。

最後に、時代はかなり遡りますが、17世紀後半のヴァイオリン演奏図をご紹介しましょう。オランダ生まれのヘリット(ヘラルド)・ドウ(1613〜75)が1665年に描いた「ヴァイオリン奏者」に基づくリトグラフ。典型的な胸置きポシションです。(59) クリスマスに聴きたい音楽 part 3 で《クリスマス・コンチェルト》をご紹介したときにも書いたように、コレッリ(1653〜1713)の作品のヴァイオリン・パートは、ほとんどが第3ポジションまでで弾けるそうですが、彼が12歳の時に描かれたこの図像を見ると納得。ヴァイオリンをこのように構えたのでは、忙しいポジション移動や高音域での演奏は、ほとんど無理でしょうから。

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)クリックで拡大します

  1. R. Stowell, ‘Violin,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 724.
  2. 同上。
  3. T. Russell, ‘Endpin,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 8, Macmillan, 2001, pp. 198-9.
15. 8月 2012 · (94) モーツァルトとドヴォルジャーク はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

アマ・オケ演奏会のプログラムは往々にして、「弾ける曲」あるいは「弾きたい曲」を並べるだけになりがち。共通点を持つ曲を組み合わせるとか、全体でストーリーを構成するのは、なかなか難しいのですが……。聖フィル第7回定演のプログラム3曲は、1つのラインで結ばれています。モーツァルトとドヴォルジャークに共通するものは、何でしょう?

答えは、プラハ。ドヴォルジャークはプラハ近郊に生まれ、プラハに建てられた「国民劇場仮劇場」楽団のヴィオラ奏者として、指揮者スメタナの薫陶を受けました((30) スメタナとドヴォルジャーク参照)。《チェコ組曲》ではボヘミアの民族舞曲を用いています((91) フリアントは速くなかった参照)し、《新世界》交響曲は、アメリカから遠い祖国へ送った音楽便りです。

それでは、モーツァルトとプラハの関連は? 《プラハ》というニックネームを持つ交響曲がありますし、今回序曲を演奏するオペラ《ドン・ジョヴァンニ》は、当時モーツァルトが住んでいたヴィーンではなく、プラハの国立劇場で初演されました(図11)。1787年10月29日のことです(1791年には同劇場で《皇帝ティートの慈悲》も初演)。でも、それだけではありません。モーツァルトにとってプラハは、特別な街でした。

1783年、《後宮からの誘拐》の上演以降、一般にもモーツァルトの名が知られるようになっていたプラハ。1786年12月、ヴィーンに次いで《フィガロの結婚》が上演され、大成功! 演奏に立ち会うように招かれたモーツァルト夫妻は、翌1787年1月11日昼にプラハに到着します。昼食後に歓迎の演奏会。さらに、

6時に馬車で……いわゆるブライトフェルトの舞踏会に出かけた。……この人たちがみんな、コントルダンスやドイツ舞曲に編曲されたぼくの《フィガロ》の音楽に合わせて、有頂天になって跳ねまわっているのを、最高にうれしい気持ちで……眺めていた。だって、ここではみんな《フィガロ》の話しかしないんだ。弾いても、歌っても、口笛を吹いても、《フィガロ》ばっかり。《フィガロ》みたいにお客の多いオペラはないし、どこにいっても《フィガロ》《フィガロ》だ。たしかに、ぼくにとってはじつに名誉なことだ!2

17日、夫妻は《フィガロの結婚》上演に列席。19日、モーツァルトが音楽会を開催。このとき初演された交響曲(ニ長調 K.504[第38番])は、《プラハ》と呼ばれるようになりました。また、オペラの中でフィガロが歌う有名なアリア《もう飛ぶまいぞこの蝶々》による即興演奏で、拍手喝采を浴びています。22日、モーツァルト自ら《フィガロ》を指揮。2月8日に帰途につく前、興行師ボンディーニに、次シーズンのための新作オペラを依頼されました。

この機会に作られたのが、《ドン・ジョヴァンニ》です。上演のため、モーツァルトは同年10月4日から再びプラハに滞在。14日に、皇帝ヨーゼフ2世の妹マリア・テレジア皇女と婚約者のプラハ訪問のために催された祝典公演でお披露目するはずが、間に合わず(代わりに、モーツァルトの指揮で《フィガロ》を上演しました)。24日に延期された《ドン・ジョヴァンニ》初演は、歌手の1人が病気になったために29日に再延期。オペラが完成したのは、その前日でした。果たして首尾は? もちろん、大成功!

半年後、改訂版でヴィーン初演。でも、《フィガロ》のように《ドン・ジョヴァンニ》も、ヴィーンではあまり受けませんでした。生地ザルツブルクと同様、フリーランスとして活動していたヴィーン((10) 自由音楽家としてのモーツァルト参照)も、モーツァルトにとってハッピーな街ではなかったのです。

モーツァルトを暖かく迎え、彼の音楽を高く評価し、彼に大成功をもたらしたプラハ。「ぼくは当地で最高の好意と名誉を受けている。……プラハは実に美しい。気持ちのいいところだ」とモーツァルトに書かれたことを、プラハの人々は誇りに思っているでしょう3。モーツァルトとドヴォルジャーク、意外なところで重なり合っているのです。

図1:《フィガロ》や《ドン・ジョヴァンニ》が上演されたプラハの国立劇場

  1. H. C. ランドン『モーツァルト:ゴールデン・イヤーズ 1781ー1791』吉田泰輔訳、中央公論社、1991(原書は1989)、185ページ。
  2. ゴットフリート・フォン・ジャカンへの手紙より(1787年1月15日付、プラハ)。R.マーシャル『モーツァルトは語る』高橋英郎、内田文子訳、春秋社、1994(原書は1991)、372-4ページ。
  3. 前掲書、184ページ。
09. 8月 2012 · (93) 《新世界》と循環形式 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , , ,

前回書いたように、《新世界》交響曲(1893)では第1楽章第1主題が、変形を加えられながら全楽章で使われます。このような循環形式の手法は、19世紀最後の四半世紀に広く使われました。

ブルッフは《スコットランド幻想曲》(1879〜80)において、第1楽章で引用したスコットランド民謡《森を抜けながら、若者よ》を、第2・第3楽章のつなぎの部分と、第4楽章のコーダで回想していましたね((68) ブルッフが使ったスコットランド民謡 (1)参照)。古くから歌い継がれて来た民謡を素材にしつつ、最新の手法で曲を組み立てたのです。他にも、たとえばチャイコフスキーの交響曲第5番(1888)では、「運命の主題」(ジャ・ジャ・ジャ・ジャーンの「運命動機」ではなく)と呼ばれる第1楽章のオープニングが、「イデー・フィクス(固定楽想)」的に使われ、全体を統一しています。

ところで、《新世界》の中で循環するのは、第1楽章第1主題(ホルンの分散和音)だけではありません。終楽章には、第2楽章《家路》の旋律と、第3楽章スケルツォの主題も現れます。しかも、第4楽章の第1主題も同時進行。ホルンやトランペットによる吼えるような提示とは一変し、ヴィオラがひとりごとをつぶやくような形に変えられています(譜例1参照)。そういえば、ドヴォルジャークはドボコンでも、第1楽章第1主題と第2楽章の《ひとりにして》の旋律を、終楽章のコーダで再現していましたね((38) ドボコンを読み解く試み その2参照)。

譜例1:ドヴォルジャークの循環形式(《新世界》第4楽章、155〜60小節。クリックで拡大します)

終楽章の中でそれ以前の楽章の素材を回想し全曲を統合する手法は、前回も名前を挙げたフランクの得意技。交響曲ニ短調(1888)やヴァイオリン・ソナタ(1886)などで使われています。彼が前駆作品として挙げたのが、ベートーヴェンの《第九》。終楽章冒頭で、第1〜第3楽章の一部がほぼそのまま引用されるからです。このように《新世界》では、ある主題や動機が他楽章に現れる《運命》型と、先行する全ての楽章の主題が最終楽章に現れる《第九》型(2つのネーミング、いかがでしょう?)の、両方の循環手法が使われています。

ドヴォルジャークは、さらにもう一ひねりしました。メロディーだけではなく、ハーモニーも循環させたのです。第2楽章冒頭で管楽器が ppp で奏する、漂うような7つの和音。第1楽章の調=シャープ1つのホ短調から、遠い遠い第2楽章《家路》の調=フラット5つの変ニ長調へと導く、コラール風の響きが、第4楽章のコーダに出現(299小節〜)1。あちらこちらに顔を出す第1〜第3楽章の主題を補強するように、ff で高らかに歌い上げられます。圧巻!

《新世界》というと、ドローンや5音音階、スピリチュアルとの類似性などがクローズ・アップされがち。確かに、ボヘミアやアメリカの民族音楽的な要素はこの曲の大きな魅力ですが、ドヴォルジャークのオリジナリティあふれる構築的な循環手法にもご注目ください。

  1. 和声分析では、hus-RyISKWさんにお世話になりました。感謝いたします。

「多楽章形式の楽曲において、同じ主題材料を全楽章あるいは数楽章に用いて、性格的統一をはかる手法」を循環形式と言います1。循環形式はしばしば、ベルギー出身の作曲家セザール・フランク(1822〜90)と結びつけられますが、実はルネサンス時代から存在します。たとえばパレストリーナは、(7) クリスマスに聴きたい音楽 part 2でご紹介したミサ曲《今日キリストが生まれたまえり Missa Hodie Christus natus est》において、「パロディ」と呼ばれる循環手法を使いました。

ルネサンス時代のミサ曲は、後の時代のオペラや交響曲のように、作曲家の力量を測る最重要ジャンル。パロディのような複雑な技法が編み出されたのは、このためです。交響曲と異なり、「キリエ」「グロリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の5楽章は、ミサ典礼の中で続けて歌われるわけではありません。それでも作曲家たちは、循環する素材を用いて、5部分に統一感を与えようとしたのです。

ところで、19世紀の循環形式の開祖(?!)は、ベルリオーズ。恋人の幻影を表わす「イデー・フィクス idée fixe(固定楽想)」を、自伝的作品《幻想交響曲》(1830)の全楽章で、形を変えながら使用しました。初めは優雅なメロディーですが、第5楽章「サバトの夜の夢」では、前打音やトリルを加えEs管クラリネットに担当させて、魔女を連想させるようなグロテスクなものに(ふられた腹いせ!)。この手法に影響された、ヴァーグナーの「ライトモティーフ(示導動機)」や、リストの1つの主題を変容させながら曲を構成する手法((75)《レ・プレ》とソナタ形式参照)も、循環形式の一種と考えられます。

でも、ベルリオーズよりも先に、前の楽章の音楽を循環させた作曲家がいましたね。このコラムでも取り上げました。そうです、ベートーヴェン。《運命》の終楽章で、第3楽章の幽霊スケルツォ(弱音で奏される、トリオの後のスケルツォ)が回想されます((13) 《運命》掟破りのベートーヴェン参照)。また、(旋律とは言えないまでも)運命動機が変形されながら全楽章に使われ((5) 第2楽章の『運命動機』はどこ?参照)、全体を有機的に統一していますから、《運命》をロマン派循環形式の先駆とみなすことが出来るでしょう。

1880年前後から流行したこの形式を、ドヴォルジャークも取り入れています。《ドボコン》でも、終楽章に2楽章で引用した《ひとりにして》の旋律の回想がありましたね((36) ドボコンに込められた想いを読み解く参照)。《新世界》交響曲でも、ホルンによる厳かな第1楽章第1主題(上がって降りる分散和音。(90) 《新世界より》第1楽章の第2主題参照)が、すべての楽章に現われます。

  • 第2楽章:コーラングレの主題が戻って来る直前にトロンボーンが大音響で(96小節〜。前半の上行部分のみ)
  • 第3楽章:第2トリオの直前にチェロ(154〜)とヴィオラ(166〜)が密やかに。コーダでホルン&木管楽器が華やかに(252〜)
  • 第4楽章:展開部クライマックスの直前にファゴット、ホルン、低弦が力強く(190〜。前半の上行部分のみ)。コーダ直前にファゴットと低弦が力強く(275〜)

いずれも印象的! でも、《新世界》で循環するのはこれだけではありません。ドヴォルジャーク、さらに凝った構成を考えました。次回に続く。

  1. 音楽大事典3、平凡社、1982、1207ページ。
19. 7月 2012 · (90) 《新世界より》第1楽章の第2主題 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

《新世界》交響曲の第1楽章は、お約束どおり、ソナタ形式で作られています。ドヴォルジャークは、ベートーヴェン以降のソナタ形式の図式((88) さらに刺激的(!?)に:ソナタ形式の変遷図2参照)に当てはまるように作曲しているでしょうか。分析してみましょう。23小節間の序奏部(Adagio)の後、2/4拍子、Allegro molto に変わったところから繰り返しの2かっこまでが、提示部です。

弦楽器のトレモロの下で、ホルンが厳かに分散和音を吹き始める第1主題。第1楽章だけでなく曲のあちこちで戻って来る(=循環形式。近いうちに説明します、今度こそ絶対に!)とても重要な4小節を、クラリネットとファゴットが引き継ぎます。

第2主題は? 主調が短調の場合、ソナタ形式の第2主題は平行調で提示されるのでしたね。シャープ1つのホ短調の平行調は、ト長調((77) 近い調、遠い調参照)。あっ、ありました! フルート・ソロの落ち着いた旋律、ト長調です。旋律性が強いですし、静かに下行、その後上行し、後半はレガートに奏される8小節フレーズは、上行+下行+スタッカートの付点リズムが繰り返される第1主題と好対照。後に続く展開部でも、この旋律(の前半)が動機として多用されます。ということは、ソナタ形式の定型どおりの提示部。

……と分析している解説書も多いのです1。ただ、このト長調のメロディーが登場するのは、176小節目まで続く提示部の、149小節目。これが第2主題だとすると、ようやく出たと思ったら、しめくくりの旋律も無いまま提示部が終わってしまうという印象です。図1は、提示部153小節間の割合をあらわしたもの。1番上の棒グラフの、青い部分が第1主題部(82%)、赤い部分がフルート・ソロ以降の第2主題部(18%)2。第2主題が出るタイミングとしては、いくらなんでも遅すぎると思いませんか?

図1:《新世界より》第1楽章提示部

むしろ、フルートとオーボエが奏でる物悲しいメロディー(91小節〜)を第2主題と考えるべきでしょう3。ト短調ですから、典型的な調ではありません。そのため、第1主題とのコントラストはそれほど大きくないのですが、レのドローン(持続低音)を伴奏に登場するこの旋律も、印象的です。図1の2は、この旋律が現れる前後を、第1主題部(青)と第2主題部(赤)としたもの。図1の3は、さきほどのフルート・ソロのト長調の旋律を、提示部をしめくくる(=コデッタの)旋律(緑)とみなした場合のグラフ。なかなかのバランスです。

「第2主題の候補になる旋律が2つあって、後に出る旋律は本来の調、先に出る旋律はその同主調で提示されるが、本来の調ではない先の方が本物」というパターンは、ベートーヴェンも、ピアノ・ソナタ《悲愴》第1楽章などで使っています(この曲の第2主題は、平行調である変ホ長調の同音反復のメロディーではなく、腕の交差を交えながら演奏する変ホ短調のメロディーの方)。典型から多少はずれていますが、想定内。序奏部:提示部:展開部:再現部:コーダのバランスも、23:153:96:123:53(小節数)でごくオーソドックス。

でも、再現部を見ると、やはり20世紀近くになって(1893年)作られた曲と感じさせられます。第1主題は主調であるホ短調で再現されますが、第2主題はシャープ5つ(!!)の嬰ト短調(312小節〜)、コデッタの旋律(370小節〜)は、その同名異音からの長調である変イ長調(フラット4つ!!)で再現されるのですから。いずれも、提示部の調より半音高く、主調・同主調どころか近親調にも含まれない遠い調です。ドヴォルジャークは、ソナタ形式という古い枠組を、さりげなく「さらにさらに刺激的に(!?)」変形して使っていますね。

  1. 門馬直衛によるミニチュア・スコアの解説(全音、1956)、田村和紀夫『クラシック音楽の世界』(新星出版社、2011)など。
  2. それぞれの主題以外に、確保とか推移主題なども含みます。
  3. 牛山充『名曲解説全集2』(音楽之友社、1979)や伊東信宏によるミニチュア・スコアの解説(音楽之友社、2004)など。
31. 5月 2012 · (83) 天使の角笛、イングリッシュ・ホルン はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

次回の定期では、ドヴォルジャークの交響曲第9番《新世界より》を演奏します。《新世界》といえば、第2楽章の「家路」のメロディーが有名。聖光学院でも、最終下校の校内放送に使われていますね。独奏するのはイングリッシュ・ホルン(フランス語ではコーラングレ cor anglais)。ダブル・リードのオーボエ族(F管)なのに、なぜ「イギリスの角笛」という名前なのでしょうか? まずは生い立ちから。

図1:オーボエ・ダ・カッチャ

1720年頃に中部ヨーロッパで、オーボエ・ダ・カッチャというテノール・オーボエの1種(F管)が使われるようになりました。動物の角のようにカーヴした管に、大きく広がったベルがついています。その外観から、イタリア語で「狩りのオーボエ」を意味する名前がついたのです(図1参照。角→角笛→狩りというつながり)。

オーボエ・ダ・カッチャの本体に洋梨形のベルを付けて新しい楽器を作ったのは、ポーランド西部ブレスラウ(ドイツ語名。ポーランド語ではブロツワフ)の J. T. Weigel と言われています。その後、次第にカーヴがゆるやかになり、1790年頃には「く」の字の形で作られるようになりました(図2参照)。現在のようにまっすぐの形になったのは、1860年頃。

図2:18世紀末〜19世紀前半のイングリッシュ・ホルン

先が広がったオーボエ・ダ・カッチャは人々に、中世以来、宗教画に描かれて来た天使のホルンを思い出させました。だから彼らは楽器をそう呼んだのですが、「天使の」を意味する中世のドイツ語 engellisch はまた、「イギリスの」という意味も持っていたのです(中世ドイツ語で「イギリス」は、Engellant)。「天使の角笛」だったはずなのに、2つの意味が混同されていつの間にか「イギリスの角笛」になってしまいました。というわけで、イギリスとは何の関係もありません。

楽器がカーヴしていたことから「曲がった角笛」を意味する cor anglé と呼ばれ、それが「イギリスの角笛」cor anglais になったという説明も見かけます(日本語版ウィキベディアなど)が、正しくありません。誤用の裏付けになるような綴りの実例が見当たりませんし、1790年頃に「くの字」形の楽器が作られるようになる前から「イギリスの角笛」と呼ばれていたからです1

「イギリスの角笛」という(間違った)名前は、オーボエ・ダ・カッチャが廃れた後も、ホルンとは異なる洋梨型ベルを持つ楽器に使われ続けました。他にもっと良い名称が無かったため、そのまま今日に至ります。意味が混同されなければ、今頃エンジェルズ・ホルンとか、エンジェリック・ホルンと呼ばれていたかもしれませんね。そうだったとしても、牧歌的な暖かみを感じさせる独特の音色が、変わるわけではないのですが。

  1. M. Finkelman, “Tenor oboes: English horn”, New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.18 (Macmillan, 2001), 282-4、「オーボエ:コーラングレ」『音楽大事典』第1巻(平凡社、1981)、344ページ(署名無し。譜例2はここから引用)、ネット上の Vienna Symphonic Library などを参考にしました。英語版ウィキペディアには、上記 Finkelman を引用した正しい語源が書かれています。
17. 5月 2012 · (81) 交響曲の中の冗談 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , ,

タイトルから、《エロイカ》交響曲のいわゆる「ホルンのフライング」を思い浮かべた方、いらっしゃるかもしれません。ベートーヴェンの第1番が属7の和音(それも下属調の)で始まるのも、一種の冗談かな((80) 音楽における解決参照)。でも、交響曲にはもっとずっと大掛かりな(!?)冗談がありますよ。答えは……スケルツォ! scherzoって、イタリア語で「冗談」という意味なのです。

ベートーヴェンによって、メヌエットの代わりに交響曲(やソナタ、四重奏曲)に導入されました。基本的に3拍子でトリオを挟む3部分構成という点はメヌエットと共通ですが、異なる点もあります。

  • 踊りの音楽ではない
  • テンポが速い
  • 名前のように、軽くてしばしばユーモラスな性格を持つ

ベートーヴェンは、第8番以外の第3楽章(第9番のみ第2楽章)に、スケルツォを使いました。第1番の第3楽章には Menuetto と書かれていますが、テンポが速い(Allegro molto e vivace)ので、実質的にはこれもスケルツォと考えて良いでしょう。ただし、Scherzoと書き入れたのは第2、3番のみです。第4、6、7番は、トリオが2回入る S – T – S – T – S’ の構成。第5番でも S – T の反復を指示していた時期があったため、5部構成の楽譜(ギュルケ校訂のペータース版)や録音(ブリュッヘンやガーディナーなど)が出ています。

いったい、どこが冗談なのでしょう。第6番《田園》の第3楽章「いなかの人々の楽しいつどい」を考えてみましょう。スケルツォ冒頭の旋律は、スタッカート奏の弦のユニゾン。フラット1つのヘ長調で始まるのに、後半(9小節目から)のスラーの旋律はシャープ2つのニ長調。ヘ長調とニ調なら調号が同じ平行調ですから近い調ですが、ニ調は「遠い調」です((77) 近い調、遠い調の譜例1参照。お隣同士が「近い調」ですが、ヘ長調とニ長調は隣の隣の隣ですね)。しかもそのニ長調の後、何の手続きも無しに、また遠い調ヘ長調のスタッカート旋律が戻って来ます。大胆な転調!

この後、91小節目から始まるのオーボエの旋律は、1拍目が休みやタイのために、伴奏より1拍遅れているように聞こえませんか。ベートーヴェンは「村の楽士たちが、演奏中に居眠りをして、出を間違えそうになったりする様子を描いた」と述べたそうです1。そう言われてみると、クラリネットのとぼけた合いの手(114小節)が、出遅れのようにも聞こえますね。《田園》に限らずベートーヴェンのスケルツォ楽章は、拍がずれたりいびつだったり、強弱の入れ替わりが大きかったりイレギュラーだったりと、ユーモアやジョークが満載(気づいて笑ってあげましょう!)。ゆっくりで静かな第2楽章とのコントラストが際立ちます。

この図式は、85年後に作られた《新世界より》にも受け継がれています。第3楽章スケルツォの主題は、実は3拍子の2拍目からの「うんタタタッタッタッ」。2拍を単位としたリズムなのに、クラリネットやティンパニは、1拍あるいは3拍(1小節)遅れで追いかけます。このはずし加減、《田園》と似ていませんか。前後に、休符無しで1拍目から始まる「タタターン」や「タタタッタッ」、どれとも異なる「タタうんタンうんタタタン」も組み合わせて、冗談をさらに徹底。ドヴォルジャークのにやにや笑いが目に浮かぶようです。

ところで、スケルツォと聞いてショパンの4曲のスケルツォを思い浮かべた方もいらっしゃることでしょう。ロマン派時代には、独立した器楽(特にピアノ)曲のスケルツォも作られました。こちらは、題名からはほど遠いシリアスな内容。ただ、急速な3拍子、真ん中に叙情的なトリオを挟んだ S – T – S の構成は、多楽章中のスケルツォと共通ですね。

  1. Schindler, Beethoven as I knew him: A Biography (ed.  by MacArdle, trans. by Jolly. Faber and Faber, c1966), p. 146.  日本語訳は金子建志「ベートーヴェンとユーモア」『ベートーヴェン全集8』(講談社、1999)、116ページ(誰の訳の引用か不明)。