23. 7月 2014 · (195) ウクライナと音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

チェルノブイリ原子力発電所事故の後始末だけで十二分に大変なのに、内戦に航空機撃墜。ウクライナのとんでもない状況に心を痛めていたら、「ウクライナ出身の有名音楽家が多いのはなぜ?」と田部井剛先生から質問が飛んで(!?)来ました。私が地理を学んだ頃は、ウクライナはソビエト連邦の一部(ウクライナ独立は、ソ連が崩壊した1991年です)。ウクライナ出身の有名音楽家って、誰?

ホロヴィッツ(1903〜89)、リヒテル(1915〜97)、ギレリス(1916〜85)などのピアニストや、エルマン(1891〜1967)、ミルシテイン(1903〜92)、オイストラフ(1908〜74)、コーガン(1924〜82)などのヴァイオリニスト、作曲家ではプロコフィエフ(1891〜1953)がウクライナ出身。確かに錚々たるメンバーです1。ただ、彼らが学んだのは、キエフ音楽院(ホロヴィッツ)、オデッサ音楽院(オイストラフ、ギレリス)、ペテルブルク音楽院(エルマン、プロコフィエフ、ミルシテイン)、モスクワ音楽院(リヒテル、コーガン)とバラバラ。良い教師がいたからではなさそう。

それにしても、プロコフィエフ以外の全員がユダヤ系ってどうして?! 調べてみたらウクライナは、ロシア帝国時代のユダヤ人居住区域と重なっていました2。国内の500万人とも言われるユダヤ人が、この区域に移住させられたそうです。ウクライナからユダヤ系の大音楽家が輩出したのは、このためでしょうね。

ところで、ウクライナで思い出すのがムソルグスキーの《展覧会の絵》。唐突ですか? 〈キエフの大門〉のキエフは、ウクライナの首都です。9世紀にロシア初の王朝が開かれたキエフ。ウラジーミル公が988年にキリスト教を国教にし、ヤロスラウ公が1037年に「黄金の門」を建設。しかし1240年、モンゴル帝国に破壊され、19世紀には残骸しか残っていませんでした。図1は、ムソルグスキーの友人で建築家・画家ヴィクトル・ガルトマン(1834〜73、ドイツ名ハルトマン)による、新しいキエフ門の設計図。ロシア正教会風のタマネギ型屋根、その上にロシア帝国の象徴である双頭の鷲(現在のロシア連邦の紋章)、壁には聖母子像、右側の鐘楼には鐘が3つ。この絵に触発されて作曲した〈キエフの大門〉をムソルグスキーが《展覧会の絵》の最後に据えたのは、偶然では無いでしょう。鐘も使ったラヴェルのオーケストレーションは、キリスト教の古都キエフの栄華を、より一層壮麗に描き出しています。

(2014, 7, 28追記)偶然手にした本で、もう少し事情が判明しました。まず、1900年代初頭、ウクライナのオデッサにカリスマ教師ストリアフスキ―(1871〜1944)がいて、ここがロシア・ヴァイオリン教育の中心地だったそうです3。彼の一番弟子が、オイストラフ。ミルシテインも7歳から11歳まで学びました。一方、ハンガリー生まれのユダヤ人アウアー(1868年から1917年までペテルブルク音楽院教授)の元に「ペール(ユダヤ人居住許可地域)から、成功を夢見て多くのユダヤ人……がやってきた」4。子供が音楽院に正式に入学を許されると、「その家族全員がユダヤ人居住許可地域の過酷な生活から解放されて、『芸術家は自由なり』という公認の政策のもと、その町へ移住できるのであった」5。頻発したユダヤ人大虐殺事件などを考えると、上記エルマン、ミルシテインや、同じくユダヤ系のジンバリスト(ロシア生まれ)、ハイフェッツ(リトアニア生まれ)らアウアーの弟子たちにとって、音楽はまさに生きるための切実な手段だったのでしょう。

図1:ガルトマン《キエフの門》(1866年作成の設計図)

図1:ガルトマン《キエフの門》設計図(1866年)

  1. Tchaikovsky Reserch http://wiki.tchaikovsky-research.net/wiki/Category:Family によると、チャイコフスキーの父方の祖父と曾祖父は、ウクライナのポルトヴァ近くの出身(父方の祖父 Pyotr Fyodorovich Chayka, b. 1745 in Nikolayevka, near Poltava; d. 1818、曾祖父 Fyodor Afanasyevich Chayka, b. about 1695 at Nikolayevka, near Poltava; d. 1767)。でも、本人は違うので含めませんでした。母方の祖父はドイツのマイセン生まれですし、その父親はなんとフランスのヴェルサイユ生まれだそうです(父方の祖父 Andrey Mikhaylovich Assier, b. 26 December 1778 at Meissen, Saxony; d. 23 June/5 July 1835 in Saint Petersburg、曾祖父 Michel Victor Acier, b. 6 August 1736 at Versailles; d. 17 February 1799 at Dresden)。
  2. Jewish people の定義は難しく、ユダヤ人よりもユダヤ教徒と言うべきかもしれません。
  3. サンド、バーバラ L.『天才を育てる:名ヴァイオリン教師ドロシー・ディレイの素顔』米谷彩子訳、音楽之友社、2001、57ページ。
  4. 同上。
  5. 前掲書、218ページ。必要な書類を持たずに、夜の六時を過ぎてペテルブルクで見付けられたユダヤ人は、すぐに帝政ロシアの警察に捕まえられることになっていたそうです。