21. 8月 2012 · (95) 怖い (?!) 音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

残暑が厳しいですね。昨年の《魔弾の射手》狼谷の場 ((41) 涼しくなる (?!) 音楽参照)に続き、今年も遅ればせながら納涼特集を。今回のストーリーは:ある男が女の部屋に忍び込んで騒がれ、助けにきた父親を殺してしまう。墓地で高笑いしていたら、自分が殺した男の大理石像が話し出す。ふざけてディナーに招待したら、石像が本当にやってきて悔い改めよと迫る。断固拒否したら、地獄に引きずり込まれてしまった……。

これ、ロレンツォ・ダ・ポンテとモーツァルトが作った「2幕のドランマ・ジョコーソ《罰せられた放蕩者あるいはドン・ジョヴァンニ》」です。動かないはずの石像がディナーに招かれてうなずくあたりは、まだコミカル。でも、石像が約束どおりに現れ、改心を承知しない女たらしの手を決して離さないなんて、ホラーそのもの。そして、モーツァルトがこの第2幕第15場につけた音楽! 怖いですよ〜(下の動画参照)。

全楽器が強奏でニ短調の和音を2つ(この動画は、前の場面の最後の和音で始まっていますが)。石像が歩くようなゆっくりした付点のリズム(0:18)を伴奏に、石像(バス)が「お前はわしを招いてくれたな、それでわしはやってきた」と朗々と歌い始めます1。シンコペーションが続く音型(0:35)をバックに、「そんなこと思いもしなかった、でもできるだけのことはしよう!」と答えるドン・ジョヴァンニ(バリトン)。3つずつ同音連打する16分音符(0:54)は、机の下に隠れた従者レポレッロの震えを表わしているようです。

石像の「天上の食べ物を食べているものは人間の食べ物を食べはしない」という台詞(1:10)は、大きな跳躍と臨時記号が多用された不自然な旋律で歌われます。これに続く「やむにやまれぬ望みがわしをこの世に導いてきたのだ!」の伴奏では、ヴァイオリンとフル―トが、クレッシェンドしながら上がり弱音で下がる、16分音符の音階パターン(1:35)を繰り返します。しかも、不安を煽るようにパターンの開始音が1音ずつ上昇。

あれれ、どこかで聴いたような……。そうです。今回の定演で取り上げるこのオペラの序曲は、石像の登場シーンの音楽を使っているのです。全楽器の強奏によるニ短調の和音2つで始まり(石像シーンの1つ目の和音は、序曲の主和音と異なりますが)、石像の歩みのような付点型、ドン・ジョヴァンニが石像に歌いかける時に使われるシンコペーション、レポレッロの震えのような細かい3つずつの同音連打、クレッシェンドしたと思うと静まる不気味な音階パターンなども登場します。《魔弾の射手》(1821)の序曲にみられるような本編の音楽の先取りで、この時代の序曲としてもモーツァルトの序曲としても、例外的な作りです。

でも、この恐ろし気な序奏部分が終わると、ニ長調モルト・アレグロの主部。何事もなかったように軽快な音楽が「楽しいオペラが始まりますよ」と告げて、序曲が終わります。一方、石像シーンはまだまだ続きます。

同音反復とオクターヴ跳躍のメロディーを少しずつ高い音で繰り返しながら、「わしと食事をしにくるか?」と迫る石像(2:55)。ドン・ジョヴァンニは改心を拒否。「そら」と手を差し出し、石像の手の冷たさに驚いて「ああ!」と叫ぶ小節(4:43)から、さらに緊迫度が増します。超自然的存在である石像が歌う小節だけ演奏していたトロンボーンが、ドン・ジョヴァンニの伴奏にも加わります((44) 神の楽器? トロンボーン part 2参照)。さすがの彼も、石像の不気味さにひるんだということでしょうか。

「悔い改めるのだ!」「いやだ!」の応酬。「もう時間が無いのだ」と石像が歌った後、音楽はアレグロに(5:36)。ヴァイオリンがシンコペーションと急速な下行音階をくりかえす中、男たちが暗い声で「お前の罪にくらべればすべては無にひとしい。来るのだ。もっと悪い災いがある!」(5:49)と歌い、ドン・ジョヴァンニは「なんという地獄だ! なんという恐怖だ!」と苦しみながら(5:58)落ちていきます。

使われている音型や和音はシンプルなのに、この圧倒的な劇的緊張感! モーツァルトってすごい……。この《ドン・ジョヴァンニ》、恐怖をリアルに描いた最初の音楽と言えるかもしれませんね。

  1. 歌詞の日本語訳は、チャンパイ&ホラント編『モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ』、音楽之友社、1988のリブレット対訳(海老沢敏訳)を使いました。
15. 8月 2012 · (94) モーツァルトとドヴォルジャーク はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

アマ・オケ演奏会のプログラムは往々にして、「弾ける曲」あるいは「弾きたい曲」を並べるだけになりがち。共通点を持つ曲を組み合わせるとか、全体でストーリーを構成するのは、なかなか難しいのですが……。聖フィル第7回定演のプログラム3曲は、1つのラインで結ばれています。モーツァルトとドヴォルジャークに共通するものは、何でしょう?

答えは、プラハ。ドヴォルジャークはプラハ近郊に生まれ、プラハに建てられた「国民劇場仮劇場」楽団のヴィオラ奏者として、指揮者スメタナの薫陶を受けました((30) スメタナとドヴォルジャーク参照)。《チェコ組曲》ではボヘミアの民族舞曲を用いています((91) フリアントは速くなかった参照)し、《新世界》交響曲は、アメリカから遠い祖国へ送った音楽便りです。

それでは、モーツァルトとプラハの関連は? 《プラハ》というニックネームを持つ交響曲がありますし、今回序曲を演奏するオペラ《ドン・ジョヴァンニ》は、当時モーツァルトが住んでいたヴィーンではなく、プラハの国立劇場で初演されました(図11)。1787年10月29日のことです(1791年には同劇場で《皇帝ティートの慈悲》も初演)。でも、それだけではありません。モーツァルトにとってプラハは、特別な街でした。

1783年、《後宮からの誘拐》の上演以降、一般にもモーツァルトの名が知られるようになっていたプラハ。1786年12月、ヴィーンに次いで《フィガロの結婚》が上演され、大成功! 演奏に立ち会うように招かれたモーツァルト夫妻は、翌1787年1月11日昼にプラハに到着します。昼食後に歓迎の演奏会。さらに、

6時に馬車で……いわゆるブライトフェルトの舞踏会に出かけた。……この人たちがみんな、コントルダンスやドイツ舞曲に編曲されたぼくの《フィガロ》の音楽に合わせて、有頂天になって跳ねまわっているのを、最高にうれしい気持ちで……眺めていた。だって、ここではみんな《フィガロ》の話しかしないんだ。弾いても、歌っても、口笛を吹いても、《フィガロ》ばっかり。《フィガロ》みたいにお客の多いオペラはないし、どこにいっても《フィガロ》《フィガロ》だ。たしかに、ぼくにとってはじつに名誉なことだ!2

17日、夫妻は《フィガロの結婚》上演に列席。19日、モーツァルトが音楽会を開催。このとき初演された交響曲(ニ長調 K.504[第38番])は、《プラハ》と呼ばれるようになりました。また、オペラの中でフィガロが歌う有名なアリア《もう飛ぶまいぞこの蝶々》による即興演奏で、拍手喝采を浴びています。22日、モーツァルト自ら《フィガロ》を指揮。2月8日に帰途につく前、興行師ボンディーニに、次シーズンのための新作オペラを依頼されました。

この機会に作られたのが、《ドン・ジョヴァンニ》です。上演のため、モーツァルトは同年10月4日から再びプラハに滞在。14日に、皇帝ヨーゼフ2世の妹マリア・テレジア皇女と婚約者のプラハ訪問のために催された祝典公演でお披露目するはずが、間に合わず(代わりに、モーツァルトの指揮で《フィガロ》を上演しました)。24日に延期された《ドン・ジョヴァンニ》初演は、歌手の1人が病気になったために29日に再延期。オペラが完成したのは、その前日でした。果たして首尾は? もちろん、大成功!

半年後、改訂版でヴィーン初演。でも、《フィガロ》のように《ドン・ジョヴァンニ》も、ヴィーンではあまり受けませんでした。生地ザルツブルクと同様、フリーランスとして活動していたヴィーン((10) 自由音楽家としてのモーツァルト参照)も、モーツァルトにとってハッピーな街ではなかったのです。

モーツァルトを暖かく迎え、彼の音楽を高く評価し、彼に大成功をもたらしたプラハ。「ぼくは当地で最高の好意と名誉を受けている。……プラハは実に美しい。気持ちのいいところだ」とモーツァルトに書かれたことを、プラハの人々は誇りに思っているでしょう3。モーツァルトとドヴォルジャーク、意外なところで重なり合っているのです。

図1:《フィガロ》や《ドン・ジョヴァンニ》が上演されたプラハの国立劇場

  1. H. C. ランドン『モーツァルト:ゴールデン・イヤーズ 1781ー1791』吉田泰輔訳、中央公論社、1991(原書は1989)、185ページ。
  2. ゴットフリート・フォン・ジャカンへの手紙より(1787年1月15日付、プラハ)。R.マーシャル『モーツァルトは語る』高橋英郎、内田文子訳、春秋社、1994(原書は1991)、372-4ページ。
  3. 前掲書、184ページ。
27. 6月 2012 · (87) 流行音楽メヌエット はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

フランス起源の3拍子の舞曲メヌエット。17世紀半ばから18世紀末にかけて、フランス宮廷を中心に、貴族階級のダンス音楽として広く普及します。おだやかなテンポによるエレガントな踊りは典型的な宮廷舞曲で、市民層にも非常に人気がありました。

このメヌエット、18世紀初め以降、特にイタリア人作曲家たちによって、誕生間もない「交響曲」(シンフォニーア)に使われることがありました。(18)「赤ちゃん交響曲」誕生までに書いたように、シンフォニーアは 急―緩―急 の3楽章構成。その終楽章が、メヌエットの様式で作られたのです。しかし、1740年代になるとドイツ語圏では、緩徐楽章とフィナーレの間に第3楽章としてメヌエットが加えられ、4楽章構成の交響曲が主流になりました。急―緩―急 から 急―緩―やや急(メヌエット)―急 に変化したのです。

ドイツやオーストリアで、交響曲の中にメヌエットが定着したのはなぜでしょうか。それは、当時この地域でメヌエットが流行していたからです。要するに、聴衆サービス。18世紀の人々にとって「交響曲」は、コンサートで妙技を楽しむことができる独奏者をもたない、伴奏者だけで演奏する、おもしろみの少ない音楽でした。そこで、最も人気が高いダンスの音楽を取り入れて、聴衆が楽しめるようにしたのです。交響曲の途中で流れるメヌエットの舞曲を聴いて、人々は、自分が踊っているような気持ちを味わったのでしょう。ただ、ドイツ語圏と限定しなければ、18世紀末になっても交響曲の主流は、メヌエット無しの3楽章構成でした。モーツァルトがパリで作曲したいわゆる《パリ》交響曲ハ長調(第31番、1778)が良い例です。

さて、モーツァルトとメヌエットと言えばやはり、交響曲からは離れますが、オペラ《ドン・ジョヴァンニ》(1787)ですね。次回の聖フィル定演で演奏する序曲ではなく、第1幕フィナーレの「3つのオーケストラの場」。観客たちが、自らメヌエットを踊って楽しむ気分を味わったはずの場面です。ドン・ジョヴァンニとは、イタリア語でドン・ファンのこと(ドン・ファンはスペイン語)。従者のレポレッロが《カタログの歌》(第1幕第5場)の中で、犠牲になった女性は「イタリアでは640、ドイツでは231、フランスで100、トルコで91、スペインではもう1003」人と数え上げる、稀代の女たらしです。

彼は今、自邸での大宴会で村娘ツェルリーナを誘惑中。「音楽、再開!」という合図とともに、たくさんの客が自分の身分にふさわしいダンスを踊ります。最初に始まる音楽がメヌエットで、踊るのは仮面をつけたドンナ・アンナとドン・オッターヴィオ(ト長調、3/4拍子)。ドンナとドンという敬称からわかるように、2人は貴族。メヌエットにふさわしい踊り手です。演奏するのは、下の動画では舞台奥に並ぶ、第1オーケストラ(オーボエ2、ホルン2、弦4部)。

次いで、舞台右側の第2オーケストラ(ヴァイオリン2部と低弦。1’10″くらいに見えます)が、中流のための舞曲コントルダンス(2/4拍子)を弾き始めます(1’02″くらいから)1。踊るのはドン・ジョヴァンニとツェルリーナ。さらに、舞台左側の第3オーケストラ(ヴァイオリン2部と低弦)が、3/8拍子の、農民のためのドイツ舞曲を演奏(1’30″くらいから)。レポレッロはツェルリーナの婚約者マゼットと、無理矢理いっしょに踊ります。

ドン・ジョヴァンニによって別室へ連れ込まれたツェルリーナの悲鳴(1’57″くらい)によって中断するまで、拍子が異なる3種類の舞曲が同時進行。それぞれの舞曲が、踊り手の社会階級を示す場面です。芸が細かいモーツァルトは、遅れて加わる第2、第3オケの調弦の音まで書き込んでいます(1’17″くらいから、第3オケのヴァイオリンが、開放弦の和音を何回か鳴らしています)。

  1. ベートーヴェンの《12のコントルダンス集》WoO 14 第7曲は、《プロメテウスの創造物》や《エロイカ》終楽章の主題のもとになった曲でしたね。