「多楽章形式の楽曲において、同じ主題材料を全楽章あるいは数楽章に用いて、性格的統一をはかる手法」を循環形式と言います1。循環形式はしばしば、ベルギー出身の作曲家セザール・フランク(1822〜90)と結びつけられますが、実はルネサンス時代から存在します。たとえばパレストリーナは、(7) クリスマスに聴きたい音楽 part 2でご紹介したミサ曲《今日キリストが生まれたまえり Missa Hodie Christus natus est》において、「パロディ」と呼ばれる循環手法を使いました。

ルネサンス時代のミサ曲は、後の時代のオペラや交響曲のように、作曲家の力量を測る最重要ジャンル。パロディのような複雑な技法が編み出されたのは、このためです。交響曲と異なり、「キリエ」「グロリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の5楽章は、ミサ典礼の中で続けて歌われるわけではありません。それでも作曲家たちは、循環する素材を用いて、5部分に統一感を与えようとしたのです。

ところで、19世紀の循環形式の開祖(?!)は、ベルリオーズ。恋人の幻影を表わす「イデー・フィクス idée fixe(固定楽想)」を、自伝的作品《幻想交響曲》(1830)の全楽章で、形を変えながら使用しました。初めは優雅なメロディーですが、第5楽章「サバトの夜の夢」では、前打音やトリルを加えEs管クラリネットに担当させて、魔女を連想させるようなグロテスクなものに(ふられた腹いせ!)。この手法に影響された、ヴァーグナーの「ライトモティーフ(示導動機)」や、リストの1つの主題を変容させながら曲を構成する手法((75)《レ・プレ》とソナタ形式参照)も、循環形式の一種と考えられます。

でも、ベルリオーズよりも先に、前の楽章の音楽を循環させた作曲家がいましたね。このコラムでも取り上げました。そうです、ベートーヴェン。《運命》の終楽章で、第3楽章の幽霊スケルツォ(弱音で奏される、トリオの後のスケルツォ)が回想されます((13) 《運命》掟破りのベートーヴェン参照)。また、(旋律とは言えないまでも)運命動機が変形されながら全楽章に使われ((5) 第2楽章の『運命動機』はどこ?参照)、全体を有機的に統一していますから、《運命》をロマン派循環形式の先駆とみなすことが出来るでしょう。

1880年前後から流行したこの形式を、ドヴォルジャークも取り入れています。《ドボコン》でも、終楽章に2楽章で引用した《ひとりにして》の旋律の回想がありましたね((36) ドボコンに込められた想いを読み解く参照)。《新世界》交響曲でも、ホルンによる厳かな第1楽章第1主題(上がって降りる分散和音。(90) 《新世界より》第1楽章の第2主題参照)が、すべての楽章に現われます。

  • 第2楽章:コーラングレの主題が戻って来る直前にトロンボーンが大音響で(96小節〜。前半の上行部分のみ)
  • 第3楽章:第2トリオの直前にチェロ(154〜)とヴィオラ(166〜)が密やかに。コーダでホルン&木管楽器が華やかに(252〜)
  • 第4楽章:展開部クライマックスの直前にファゴット、ホルン、低弦が力強く(190〜。前半の上行部分のみ)。コーダ直前にファゴットと低弦が力強く(275〜)

いずれも印象的! でも、《新世界》で循環するのはこれだけではありません。ドヴォルジャーク、さらに凝った構成を考えました。次回に続く。

  1. 音楽大事典3、平凡社、1982、1207ページ。
20. 7月 2011 · (38) ドボコンを読み解く試み その2 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(36) ドボコンに込められた想いを読み解くを読んだ方から、初演で指揮したドヴォルジャークは、引用について楽団員に明かしたのだろうかと尋ねられました。プライベートな「裏事情」がこれほど知れ渡ってしまったのはなぜ? ドヴォルジャークのヨゼフィーナへの初恋や、《ひとりにして》が彼女のお気に入りだったことは、実は家族から聞き取りをもとにシュウレクが1954年に書いた伝記が源だそうです1

ドボコン第2楽章と第3楽章における《ひとりにして》の引用について、もう少し考えてみたいと思います。

「病気で臥せっている、寂しい」というヨゼフィーナの手紙(1894年11月26日付)を受け取ってから、第1楽章を完成させ(12月12日)第2楽章に取りかかるまで、ドヴォルジャークは引用について考える時間が十分あったはずです。第2楽章での《ひとりにして》は、molto espressivo と指示された独奏チェロによる引用も、独奏チェロが装飾を加えながら木管楽器とともに繰り返す2度目の引用も、全体の中にごく自然に溶け込んでいます2

一方第3楽章の引用は、コーダ(=結尾部)改訂の際に加えられました。ヨゼフィーナが亡くなったのが1895年5月27日で、改訂が終わったのは6月6日。このため、改訂はしばしばヨゼフィーナの死がきっかけと説明されます。

しかし Smaczny(この名前の発音がわからなくて、カタカナ書きに出来ません……)は、いずれにしろコーダを書き直す必要があったと述べています3。第1楽章の堂々とした第1提示部(独奏チェロが加わるまでの部分)がポイントであるこの協奏曲に、初稿の40小節のコーダはものたりなく感じられたはずだからです。改訂後のコーダは95小節。この拡大のおかげで終楽章は、先立つ2つの楽章の規模と荘重さにふさわしく締めくくられています。

コーダにおける第1楽章第1主題の引用と、独奏ヴァイオリンによる《ひとりにして》長調版の引用はわかりやすいのですが、その後に、この2つを組み合わせた引用があることをご存知ですか。《ひとりにして》の旋律は、冒頭のオクターヴ跳躍を除くと、どんどん下降していきます(譜例1参照)。したがって、485小節目から独奏チェロが奏でる下降の音型も、《ひとりにして》の変形とみなすことができますし、これを支える弦楽器の音型は、第1楽章第1主題の変形ですね(譜例2参照)4

譜例1 第3楽章469小節アウフタクト〜

譜例1 第3楽章コーダ《ひとりにして》の引用(469小節アウフタクト〜)

譜例2 第3楽章485小節〜

譜例2 第3楽章コーダ、第1楽章第1主題と《ひとりにして》を組み合わせた回想(485小節〜)

カザルスが「最後の呼吸の瞬間––英雄の死の描写」と解釈したという、独奏チェロの動き(492小節、譜例2の x )が ppで締めくくられた後、アンダンテ・マエストーソ ff の中でトロンボーンが奏でるのは、第3楽章主題の拡大型5。アレグロ・ヴィーヴォでファースト・ヴァイオリンが奏でるのは同じく縮小型です。終楽章のコーダで来し方を振り返る、循環形式によるみごとな結末です。

ドヴォルジャークが、この曲の委嘱者であるヴィハンが終楽章用に書いたカデンツァを強く拒否したというエピソードも、ヨゼフィーナへの想いと結びつける解説書が多いようですが、練りに練った構成を崩されたくなかったからと考えるべきでしょう。プライベートな要素もさりげなく折り込みつつ、それを普遍化するのに成功しているところも、ドボコンが名曲とされる所以ではないでしょうか。

  1. Šourek, Otakar. Život a dílo Antonín Dvořáka (The Life and Works of Antonín Dvořak), vol. 1: 1841-1877 (Prague, 1954).
  2. 第2楽章の引用について、(36)のコラムで、ドヴォルジャークがより率直な第5連の意味を念頭においたのではないかと書いたのは、これら2回の引用の性格があまりに異なるため、普通であれば当然であるはずの1回目の引用が第2連、2回目が第5連の意味を暗示するとは考えにくいと思うからです。
  3. Smaczny, Dvořák: Cello Concerto, Cambridge Univ. Press, 1999, pp. 40-41. 彼は、ドヴォルジャークが完全に音楽的な理由から(つまりヨゼフィーナの死とは無関係に)コーダの改訂を考えていた可能性もあると指摘しています。
  4. この2つの旋律を組み合わせた部分を、Smaczny は「もしもヨゼフィーナへの愛が受け入れられていた場合のドヴォルジャークの人生を想像させる」と評しています(同書 p. 83)が、私にはちょっと飛躍し過ぎのように思われます。この部分は、ヴァイオリン独奏による引用が与える特別な印象を、和らげていますね。
  5. 同書 p. 84.
06. 7月 2011 · (36) ドボコンに込められた想いを読み解く はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ドヴォルジャークのチェロ協奏曲(以下ドボコン)には、彼の歌曲《ひとりにして》が使われています。アメリカで、妻アンナの姉ヨゼフィーナが重病と聞いた彼は、ドボコン第2楽章の中でヨゼフィーナが好きだった《ひとりにして》の旋律を引用しました1。これを奏でる独奏チェロは、molto espressivo(非常に表情豊かに)と指示されています(譜例1参照)。

第2楽章43小節目アウフタクトから独奏チェロ

譜例1 第2楽章 43小節目アウフタクト〜

ヨゼフィーナが1895年5月に亡くなった後、彼は第3楽章コーダを変更。ここでも《ひとりにして》を引用するように書き直しました。ドヴォルジャークは若い頃、女優の卵だったヨゼフィーナに片思いしていたのだそうです。ドボコン解説でよく紹介されるエピソードです。

“Lasst mich allein” というタイトルは、確かに「私をひとりにして」という意味ですが、いったいどんな歌曲なのだろうかと、以前から不思議に思っていました。まさか、好きだとうちあける男の人に対して、放っておいてと拒絶する女性の心情を歌った曲ではないですよね(もしもそんな内容だったとしたら、それを引用するなんてドヴォルジャーク、自虐的過ぎますから)。というわけで、この歌曲について調べてみました。

《ひとりにして》は、1887年末からわずか2週間ほどで作曲された『4つの歌』op. 82 (B. 157) の第1曲。女流詩人オティリエ・マリブロック=シュティーレルによるドイツ語の詩(各4行5連)には、彼を想い焦がれる乙女心が描かれています(下に全訳をあげました)2。「ひとりにして」欲しいのは、「彼の面影を夢に見られるように、彼の面影と共にいられるように」という理由でした。納得!

ドヴォルジャークは最後の第5連を繰り返すことで前半3連、後半3連の構成にし、かなり抑制のきいた音楽を付けています。人知れず燃える想いを象徴するような、静かな分散和音の短い前奏に導かれて、第1連はsotto voceで(声をひそめて)歌い出されます。次第にクレッシェンドして高揚しますが、すぐに引いていきます。

冒頭よりさらに静かな pp で第2連が始まります(pp でこのオクターヴ跳躍を歌うのは、すごく難しそうですね)。前半の旋律は、第1連と同じ。ただ、ロ長調だった第1連に対し、第2連はロ短調です。後半は少しずつ音高も音量も上がり、ff の最高音で歌われる「allein」が前半のクライマックスになります。第3連の旋律線も、それまでと同様に順次進行を多用しながらゆるやかな弧を描き、最後は瞑想するように lasst mich allein を3回繰り返しながら ppp まで静まって一段落。後半3連は、前半3連と同じ音楽で歌われ、まるで祈るようなピアノの後奏が、静かな余韻を残します。

ドボコン第2楽章で引用されるのは、短調に転じた第2連前半の旋律です3。ここで歌われている歌詞は:

私をひとりにしておいて! あなたたちの騒々しい言葉で
私の胸のうちの平安を乱さないで

ふむふむ……。同じ旋律が使われる第5連の歌詞は(譜例2参照):

私をひとりで夢見させたままにして!
彼は私を愛していると言ったのよ! 深い静けさを私に残したままにしておいて

こちらかな。ドヴォルジャークは昔好きだった女性と、彼女が好きだった曲の中の主人公をオーバーラップさせ、他の人にはわからない彼女の熱烈な愛の独白を、独奏チェロで再現させたのではないでしょうか(作曲家の特権ですね)4

《一人にして》39小節アウフタクトから

譜例2 《ひとりにして》39小節アウフタクト〜(クリックすると拡大します)

一方、彼女の死後に書き直した第3楽章コーダでは、第1節(第4節)の長調の旋律が引用されます(468小節〜)。「私にひとりで夢を見させて」という歌曲の冒頭部分を、ヨゼフィーナの言葉としてもう一度思い起こしているのでしょう。ヴァイオリンの独奏にしたのは、「ひとりで」を象徴するためですよね5

チェコ語で歌われた《ひとりにして》、しみじみ素敵です6。ヨゼフィーナを失った悲しみ、彼女の友情に対する感謝、思い出をドボコンに織り込んた小さな喜びなど、ドヴォルジャークの様々な想いを想像してしまいます。

ひとりにして Lasst mich allein

Op. 82 (B. 157), no. 1(Malybrok-Stieler 詩、nyanKo.iwa 訳)

私にたったひとりで夢を見させて、
私の心の恍惚を妨げないで、
私が彼を見てからというもの心に満ちている
すべての幸せ、苦しみをそのまま放っておいて!

私をひとりにしておいて!
私がどこにいても彼の姿を見、彼の声を聞けるように
あなたたちの騒々しい言葉でこの胸の平安を乱さないで!
私を光り輝く彼の面影と二人っきりにしておいて!

私の心を満たす魔法について、訊かないで!
彼の愛、ただ私だけ、私ひとりだけに向けられた愛のおかげで
私が感じているこの上ない幸せは
あなたたちにはどうせわからない。

焼け付くような苦しみ、燃え盛る魅力の
重荷と共に、私を置き去りにして、
そして私の哀れな心よ、あなたをあなたたちに押しつぶして欲しい。
私の心よ、あなたはひとりぼっちで、愛する人から受け取ったものを耐えるのよ。

私をひとりにして、夢を見させておいて!
彼は私を愛していると言ったのよ! この言葉が私にもたらした深い静けさを、
言葉と切り離して私に残したままにしておいて!
憧れのあまり、魂は焦がれ消えゆきそう。

  1. ドヴォルジャークは若い頃、ヴィオラ奏者の収入を補うために2人にピアノを教えていました。
  2. 歌詞を的確に訳してくださった nyanKo.iwa さんに、心から感謝します。
  3. 全音出版のミニチュア・スコアでは、冒頭第1連(長調)の旋律が譜例に使われています。
  4. 追記(2011/07/11):これについては改めて書きたいと思います。
  5. このような個人的な含みを考慮に入れなくても、このコーダ部分は、先の楽章を回想しながら締めくくる循環形式と解釈できます(循環形式については、改めて書きます)。本人も公には「フィナーレはだんだんとディミヌエンドで終わります――第1楽章と第2楽章を思い出しながら」と語っています。
  6. チェコ語版の楽譜は、《孤独な私の魂に》というタイトルで『ドヴォルジャーク声楽作品集』(匂坂恭子編、全音楽譜出版社、1995年)に収められています。