小さい頃から興味を持っていたにもかかわらず((115) 愛の楽器? (2)参照)、モーツァルトがクラリネットを使った曲は、交響曲2(《パリ》と、聖フィルが演奏した39番 K. 543)、ピアノ協奏曲3(K. 482、K. 488、K. 491)、ホルン協奏曲(K. 447)、キリエ(K. 341/368a)など、ごくごく限られています。
でも劇音楽では、1780年に《イドメネオ》で初めて用いて以来、《後宮からの逃走》《劇場支配人》《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《コジ・ファン・トゥッテ》《魔笛》《ティート帝の慈悲》と、オペラ・セリアであろうとオペラ・ブッファであろうと、歌詞がイタリア語であろうとドイツ語であろうと、亡くなるまで全ての作品でクラリネットを使用しました。
《コジ・ファン・トゥッテ》のクラリネット・パートを見てみましょう。老哲学者の賭けにのった2組のカップルの男性が、変装してそれぞれ婚約者ではない方の女性(姉妹)を口説き、両方とも成功する(=姉も妹も心変わりする)というストーリー(この全てが1日のうちに起こるところが、ありえなくておかしい)。イタリア語のタイトルは、《女はみんなこうした(=浮気する)もの》という意味です。登場人物6人(カップル2組と小間使い、老哲学者)の、ソロやアンサンブルを伴奏する楽器の組み合わせは多様。木管楽器のうち、フルート、オーボエ、クラリネットは曲によって使われたり使われなかったりします1。《コジ》の中で、これら3つのうちクラリネットだけが使われる6曲は:
- 姉妹が、それぞれの恋人への愛を歌い合う2重唱「ああ、妹よご覧(4番)」
- 別離を嘆く5重唱「ああ、この足はあなたの前に(6番)」
- 男たちが別れを告げる2重唱「愛くるしい君の目が(7番)」
- 男のうちの1人のアリア「いとしい人の愛のそよ風は(17番)」
- 新しいカップル(妹と、姉の婚約者)の2重唱「このハートをあなたに贈りましょう(23番)」
- 拒絶した姉をさらに口説く、すでに陥落してしまった妹の婚約者のアリア「よくわかる、その美しい魂が(24番)」
6曲とも恋人への、あるいは口説こうとする女性への熱い想いが歌われています。フルートなども後から加わるものの、前奏がクラリネットの主旋律で始まる曲も同様。クラリネットによるかなり長い甘い前奏がついているのは、男たちの愛情あふれた2重唱「やさしい風よ(21番)」、軽快な前奏がついているのは、新しい愛の喜びを天真爛漫に歌う妹のアリア「恋は盗人(28番)」です。
一方で、シニカルな老哲学者や「恋人がいないなら楽しみなさい」と浮気をそそのかす小間使いの曲には、クラリネット・パートは無し。また、クラリネットだけが使われる曲でも愛から逸れた部分、たとえば恋人たちに別れを告げる6番の中で、「(彼女たちの嘆きを)見たか(=もう賭けに勝ったも同然)」と男たちが哲学者と内緒話をする部分では、クラリネットはお休み。モーツァルト、細かい。
《コジ》に限ったことではありません。《フィガロ》ではケルビーノのアリア「自分で自分がわからない(6番)」や伯爵夫人のカヴァティーナ「愛の神よ(10番)」、《ドン・ジョヴァンニ》ではオッターヴィオのアリア「私の宝のあの人を(プラハ版21番)」など、真剣に愛を歌う曲がクラリネットだけで伴奏されています。
少なくともモーツァルトの劇作品では、クラリネットは愛の楽器と言えそうですね。神聖なものや超自然的なものに関連した部分だけに使われたトロンボーン((95) 怖い (?!) 音楽参照))とは異なり、歴史的な根拠がある((42) 神の楽器? トロンボーン参照)わけではないようです2。モーツァルトだけが、クラリネットをこのように特別に扱ったのでしょうか。それともこの時代の一般的な傾向? 機会があれば、他の作曲家の劇作品におけるクラリネットの使い方も調べてみたいと思っています。