18. 5月 2016 · (280) 主題が3つ!!? ブルックナーのソナタ形式 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

ブルックナーの交響曲は、第1楽章:ソナタ形式、第2楽章:歌謡的な緩徐楽章、第3楽章:スケルツォとトリオ、そして第4楽章:ソナタ形式の4楽章構成。第8番で緩徐楽章とスケルツォの順番を入れ替えた以外、全部同じです。ブラームスのように、終楽章で突然パッサカリアを使ったりしません(でも、あのパッサカリアもソナタ形式の枠内で作られていましたね。(251) ただのパッサカリアではない!参照)。

ブルックナーのソナタ形式と言えば、3主題ソナタ形式。2連符と3連符を組み合わせた「ブルックナー・リズム」や、ベートーヴェンの《第九》から影響を受けた「ブルックナー・オープニング」と並んで有名です。ソナタ形式は通常、性格が異なる2つの主題で構成しますが、ブルックナーは主題を3つも使うのです(主題1つなら単一主題ソナタ形式。モーツァルトの例は(189) 第1主題=第2主題!?のソナタ形式参照)。

第4番《ロマンティッシェ》第1楽章(第2稿)の場合、第1主題は冒頭のホルン独奏(主調=変ホ長調、譜例参照)、第2主題はヴァイオリンによる「シジュウカラのツィツィペーという鳴き声」を伴うヴィオラの旋律(変ニ長調、練習番号B)、第3主題は弦楽器ユニゾンのアルペジオ上で、ホルンやテューバなどがブルックナー・リズムで下降する旋律(D5度上の変ロ長調、D)。

譜例:ブルックナー作曲 交響曲第4番 第1楽章の3主題

譜例:ブルックナー作曲 交響曲第4番 第1楽章の3主題

展開部(G)の後、Mから第1主題がフルートのしみじみとした対旋律とともに、主調で再現されます。第2主題はOの3小節目から、なんとシャープが5つ必要なロ長調で登場。フラット3つの主調から、ものすごく遠い調です。第3主題は、Qからお約束通り主調で再現。Sからコーダ。長いクレッシェンドの頂点でホルンが第1主題の5度動機を高らかに吹き、第1楽章終了。

3つの主題のうち、第1主題は主調で提示&再現、第3主題は主調の5度上の属調で提示され、主調で再現されています。ということは、通常のソナタ形式の2主題と同じ関係。ここでは第3主題が、従来の第2主題にあたるようですね(表参照。(88) さらに刺激的(!?)により再掲)。

表:ベートーヴェン以降のソナタ形式

表:ベートーヴェン以降のソナタ形式

それでは、遠隔調の変ニ長調で提示され、さらに遠いロ長調で再現される第2主題は何に当たるのでしょうか? ソナタ形式の第1主題から第2主題へ移る部分は「推移」と呼ばれます。例えば長調の曲の提示部では、主調で第1主題を提示した後、第2主題を出す前に属調まで転調し、新しい調で落ち着かなければなりません。ソナチネのような小曲であれば、推移の部分はほんの数小節。でも、規模が大きいと推移も長くなり、その部分の旋律が第1主題に対抗しうる独自の性格を持つ「主題」に昇格(!?!)したわけです。

ブルックナーのソナタ形式は、提示部の主題部間に推移の部分がほとんど無いと言われますが、こんな事情があったのですね。使い古されたソナタ形式の枠組みを守りながら、新しい要素を組み込んだブルックナー。《ロマンティッシェ》終楽章では、第1主題を主調の変ホ短調(P)、第2主題をかなり遠いニ長調(S)で再現。第3主題の再現は省略して、コーダ(V)に進んでいます。

都合により、来週のコラムはお休みします。

11. 5月 2016 · (279) ブルックナー音楽史クイズ はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

次回第15回の聖フィル定期演奏会では、アントン・ブルックナーの交響曲第4番を取り上げます。皆さんはブルックナーの音楽、お好きですか? マニアックなファンが多い一方で、よく知らない、あるいはわからないという人もかなりいますよね。確かに、同じロマン派のブラームスやチャイコフスキー、ショパンやヴェルディに比べると、少し(かなり?!)地味な存在かもしれません。

私自身はブルックナー、実は結構好きです。西洋音楽史でブルックナーを講義するときは、つい張り切ってしまいます。多くの音大生にとって、その講義がブルックナー・デビュー(ピアノ科の学生なら、最初で最後のブルックナー体験になる可能性も)。独特の響きや構成に興味を持ってもらいたいと思いながら、交響曲を中心に説明します。

音楽史ではまず、歴史におけるその作曲家の立ち位置を理解することが重要です。というわけで、ブルックナーがお好きな方も嫌いな方も(どうでもいい方も)、まずは基本を押さえておきましょう。突然ですがここで質問です。ブルックナーとブラームスは、どちらが先に生まれたでしょうか?

ブルックナー・ファンでも、とっさに答えられないのでは? 保守的な作りや響きを思い出して、ブラームスと答えたくなりませんか? でも、正解は1824年に生まれたブルックナー。19世紀が1/3終わった1833年に生まれたブラームスの方が、9歳も年下です。ちょっと意外ですよね。次、亡くなったのはどちらが先? これもブルックナーですが、こちらは1年違い。ブルックナーは1896年、ブラームスは1897年に、ウィーンで没しました。独身で生涯を終えたのも、共通しています。

もうひとつ押さえておきたいのが、ブルックナーとマーラーの年関係です。ブルックナーの方がもちろん年上ですが、マーラーと何歳くらい違うでしょうか? 2人とも交響曲作曲家として重要。しかも、どちらも編成が大きく演奏時間が長い交響曲を書いていますから、つい一括りにしたくなりますが……。

マーラーは1860年生まれ。ブルックナーとマーラーは36歳、一世代以上も年が違うのです。シューベルト(1797年生まれ)とブラームス(1833年生まれ)が同じく36歳差。ベートーヴェン(1770年生まれ)とメンデルスゾーン(1809年生まれ)が39歳差。それぞれの音楽は、互いにかなり異なりますよね。現代に近づくほど時代の動きが早くなってきているとは言え、36年は決して小さな差ではありません。

「19世紀後半の最も革新的な人物の一人」と評されるブルックナーは、ベートーヴェンの第九交響曲が初演された1824年生まれ1。スメタナと同い年で、ブラームスよりも9歳、マーラーよりも36歳年上。新しい響きと規模の大きさに惑わされがちですが、ロマン派の中では結構早く生まれた作曲家なのです。

  1. Hawkshaw, Paul, ‘Bruckner,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 4. Macmillan, 2001, p.  458.
27. 4月 2016 · (278) モーツァルトとアマデウス はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

モーツァルトのフルネームはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。でも、ピーター・シェーファーのお芝居でもおなじみの「アマデウス」は、洗礼名に含まれません。ザルツブルグ大聖堂で受けた洗礼の記録(図1参照)に記されているのは、左から:

図1:モーツァルトの洗礼記録

図1:モーツァルトの洗礼記録

  1. (モーツァルトは1756年1月)28日午前10時30分に洗礼を受け、前夜8時に生まれた。
  2. (洗礼名は)ヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス Joannes Chrysost[omus] / Wolfgangus / Theophilus、嫡出子
  3. (両親は)宮廷音楽家レオポルト・モーツァルトとアンナ・マリア・ペルトル
  4. (名付け親は)ザルツブルク市評議委員で商人のヨハネス・テオフィルス・ぺルグマイヤー
  5. (記録者は)同上(ザルツブルク市の司祭レオポルト・ランプレヒト1

ヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルト。長〜い名前のうちの最初の2つは、カトリック教会の慣習に従って付けられたもの。ヨハネス・クリュソストムスは「黄金の口を持つヨハネ」という意味。モーツァルトが生まれた1月27日は、説教がうまい聖ヨハネ(c.349〜407)の祝日でした。モーツァルト自身は、この最初の2つの名前を日常生活で使うことはありませんでしたが。

ヴォルフガングスは、ヴォルフガングのラテン語形。ラテン語で記録されたからですね。「走る狼」という意味で、母方の祖父の名前です。聖ヴォルフガング(c.934〜994)にちなみ、病気になっても死なないようにという願いが込められていたとも2。一方、テオフィルスは洗礼式にも立ち会ったモーツァルトの名付け親の名前。ギリシア語で「神に愛される」という意味。ドイツ語ではゴットリープ Gottlieb、ラテン語ではアマデウス Amadeus になります。

父レオポルトは、息子の誕生を知らせる手紙(Johann Jakob Lotter 宛て)の中で名前をヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガング・ゴットリープと書きました。ご本人はイタリアで、1770年にはヴォルフガンゴ・アマデオ Wolfgango Amadeo、1777年以降はヴォルフガング・アマデ Wolfgang Amadè と名乗っていました。このイタリア語形を気に入っていたらしく、1782年8月3日付のコンスタンツェ・ヴェーバーとの結婚契約書も、ヴォルフガンク・アマデ・モーツァルト Wolfgang Amade Mozart とサインしています。

自分の名前を各国語で使い分けるのは、モーツァルトに限ったことではありません。楽譜出版の際にベートーヴェンも、ルートヴィヒの代わりにイタリア語のルイージ Luigi やフランス語のルイ Louis を使っています。モーツァルトはイタリア語やフランス語のアクセントの書き方に無頓著で、自分の名前も Amadé、Amadè、アクセント無しの Amade が見られるそうです。一方、アマデウス Amadeus は3通の手紙のサインに使われました。ただそれは、彼がふざけてラテン語風に全部に us を付け、ヴォルフガングス・アマデウス・モーツァルトゥス Wolfgangus Amadeus Mozartus と書いたときです3

この「アマデウス」、モーツァルトの死後に使われるようになります。死亡当日(1791年12月5日)、ウィーンの行政官が死亡記録にヴォルフガング・アマデウスと記入。経済的に困窮したコンスタンツェは、皇帝への年金の嘆願書(12月11日付)に故ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの未亡人と記入。役人からの返事にも、同じ名前が使われます(彼女の願いは聞き届けられました!!)。初期の伝記作家たちは、ゴッドリープの名を使っていたのですが、1798年にブライトコプフ&ヘルテル社がアマデウスの名前で全集出版を開始。1810年頃にはアマデウスが支配的に。

ラテン語形の「アマデウス」の方が、イタリア語やフランス語のアマデオやアマデより偉そう?!?  ふざけて使っただけのアマデウスが死後200年間、自分の正式な名前として使われているのを知ったら……。モーツァルト、驚くより喜ぶかもしれませんね(来週はコラムをお休みします。皆さま、良いゴールデン・ウィークをお過ごしください)。

  1. 同上のIdemしか読めませんが、2行目はサイン(か名前の略記)ではないかと思います。
  2. 海老澤敏『モーツァルトの名曲』ナツメ社、2006年、112ページ。
  3. 例えば Steinberg, Michael, ‘Another Word for Mozart,’ For The Love of Music, by Michael Steinberg; Larry Rothe, Oxford University Press, 2006, p.21.
20. 4月 2016 · (277) コンチェルトは声楽曲だった?! はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

コンチェルト(協奏曲)といえば、「独奏楽器(または独奏楽器群)とオーケストラとが協調しつつ優位を競い合うもの」1。器楽合奏の一形態に決まっています。この用語が声楽曲を指していたなんて、有り得ない!! 信じられない!! と思うのは当然。でも、本当なんですよ。というわけで、お久しぶりの「アマ・オケ奏者のための音楽史」シリーズです。

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

コンチェルトという語が初めて出版譜に使われたのは、1587年。アンドレアとジョヴァンニ両ガブリエーリの『コンチェルト集 Concerti di Andrea, et di Gio. Gabrieli』(図1参照)です。前年に亡くなったヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂オルガニスト、アンドレア・ガブリエーリの作品を、甥のジョヴァンニ(《ピアノとフォルテのソナタ》の作曲者。(190) コルネットとトロンボーンとヴァイオリンの八重奏参照)が校訂し、自作も含めて出版したもの。

このコンチェルト集に収められたのは、6声から16声の宗教歌曲とマドリガーレ(イタリア語の歌詞を持つ世俗曲)。歌曲集が、コンチェルト集と名付けられているのです。全声部に歌詞が印刷されていますが、序文中にほのめかされているように、楽器も使われたはずです(16声部の曲を、声だけで演奏するのは大変ですから)。

コンチェルトという用語が、このような編成の大きな声楽曲に使われたとは限りません。ロドヴィコ・ヴィアダーナの『100の教会コンチェルト集 Cento concerti ecclesiatici』(1602)は、1〜4人の歌い手とオルガン伴奏のための宗教曲集。17世紀前半においては、規模には関わりなく、楽器を伴う声楽曲がコンチェルトとみなされていたようです。

コンチェルトのタイトルは宗教歌曲集に使われることが多いのですが、世俗歌曲集の例も。モンテヴェルディのマドリガーレ集第7巻(通奏低音付き)は、その名も『コンチェルト Concerto. Settimo libro di madrigali』(1619)。ドイツでも、シュッツの『小教会コンツェルト Kleine geistliche Konzerte 』(第1集:1636、第2集:1639)のように、声と楽器のコンチェルトが作られました。

ルネサンス時代((27) 音楽史の時代区分参照)、声楽といえば無伴奏。楽器が加わったり、通奏低音((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)によって支えられるようになったバロック時代の新しい声楽に、新しい呼び名が必要だったのですね。コンチェルトの語は、アンサンブルやオーケストラなどの意味も含みながら、歌や楽器の様々な演奏媒体のための作品に使われました2。この用語が私たちが知っているような意味を一貫して指すようになったのは、18世紀の初め以降のことです3

  1. 東川清一「協奏曲」『音楽大事典2』平凡社、1982、713ページ。
  2. Hutchings, Arthur, ‘Concerto,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 240.
  3. 熊本地震で被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
13. 4月 2016 · (276) 何が悲しくてなぜワルツなのか? 《悲しきワルツ》 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

聖フィル第14回定期演奏会を聴きに来てくださった方々、どうもありがとうございました。名前とは裏腹に(??)しっかり現代的な《古典交響曲》、ほとんどの方が初めて聴いたであろう《エスタンシア》、メンデルスゾーンの最高傑作《スコットランド》、いかがでしたでしょうか? コラム恒例のアンコール・シリーズ、今回はシベリウスの 《悲しきワルツ》について。

短調でひっそりと終わるこの曲は、本来アンコールには向かないはず。指揮者の田部井剛先生が説明されたように、選ばれた理由は楽器編成。今回のプログラムは、3曲ともトロンボーン無し。アンコールもトロンボーンが無い曲になったのです。それにしても、フルート1、クラリネット1、ホルン2、ティンパニ(1個のみ)と弦楽器という不思議な編成はなぜ? 途中にフォルテの華やかな部分もあるのに、弦楽器は全て、最後まで弱音器をつけたままなのはなぜ? そもそも、いったい何が悲しくて、なぜワルツなの?

田部井先生が触れておられたように、《悲しきワルツ》は『クオレマ』という戯曲の、付随音楽の1曲に基づきます。義兄ヤンネフェルトが書いた『クオレマ』上演(1903年)は、成功しませんでした。シベリウスは翌年、6曲の付随音楽のうちの第1曲《Tempo di valse lente – Poco risoluto ゆっくりしたワルツのテンポで – 少し決然と》を改訂1。《悲しきワルツ》のタイトルをつけてヘルシンキで演奏しました。

オーボエ、ファゴット、トランペット無しという小編成は、劇付随音楽だったからですね。新しいタイトルの中の「悲しい」は、曲が悲しそうに始まって悲しそうに終わるからでしょう。それではなぜワルツで、しかもなぜ曲中で何度も雰囲気が変わるのでしょうか?

原曲 《ゆっくりしたワルツのテンポで〜》は、『クオレマ』第1幕の音楽。クオレマは「死」という意味で、第1幕では、主人公の母の死が描かれます。病で床についた女性が起き上がって、次々と現れる幻たちと踊るという内容2。音楽に合わせてワルツを踊るのですね。

曲は、シンプルでメランコリックに始まります。初めは1拍目のバスだけ。次に後打ちの和音、9小節目でもの悲しい主旋律が加わります。ゆっくりなのは、病人が踊っているからでしょう。途中で明るく弾んだ感じになったり、優雅になったり、元の静かで憂鬱な感じに戻ったり、急に活発になったりと、なんだか取り留めがないのは、ワルツのパートナーが変わっていくことを表しているのでしょうか。華やかな部分にも弱音器が外す指示がないのは、現実ではなく幻の華やかさであることを示しているのかもしれません。最後はヴァイオリン4つだけが残って3つの和音を弱奏し、余韻を残して終わります。

  1. Wikipedia 日本語版には義弟と書かれていますが、シベリウスは女男男の3人兄弟の真ん中。brother-in-low は義兄です。
  2. マイケル・スタインバーグによる解説。サン・フランシスコ響のホームページより。ワルツの踊るのは幻たちで、彼らは病気の女性を見ようとしないという説明もありました(Music With Ease やそれを引用した Wikipedia 英語版など)。
06. 4月 2016 · (275) 《古典交響曲》の古典的でないところ はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , ,

前回ご紹介したように、《古典交響曲》はプロコフィエフがハイドン風に作った交響曲です。しかし、ハイドン的ではない点もあります。

まず思い当たるのは、第3楽章がメヌエットではないこと。ベートーヴェンがスケルツォに変えるまで((81) 交響曲の中の冗談参照)、4楽章構成の交響曲の第3楽章は、3拍子のメヌエットでした。もともと急ー緩ー急の3楽章構成だった交響曲をより楽しめるように、当時流行していた踊りの音楽を加えたのでしたね((87) 流行音楽メヌエット参照)。

ところが、《古典交響曲》の第3楽章はガヴォット。古典派より前のバロック時代に組曲などに使われた、フランス起源の舞曲です。トリオが挟まる AーBーA’ の形をしてはいますが、4/4拍子でしかも pesante(重く)。むしろ、ゆっくりながら3拍子の第2楽章が、古典的で優雅なメヌエットに近い音楽です。

第2に、楽器の高音域が使われていること。たとえば、《古典交響曲》ではファースト・ヴァイオリンの最高音はレ。五線の上に加線2本のレの、そのまた1オクターヴ上です。加線6本!

ベートーヴェンは交響曲で、ヴァイオリンのラより高い音を使いませんでした((99) 高音域を使わない理由参照)。ハイドンの時代はさらに、使用する音域が狭かったようです。彼が最後に作った104番の交響曲((158) ハイドンの交響曲は106曲!参照)を調べてみたら、第1楽章の展開部の終わりでソを繰り返し使っているものの、他はほとんど加線2本のレ以下。第3ポジションで弾ける範囲です。フルートも、同じくソまででした(《古典交響曲》では、その上のドが当たり前に使われています)。

でも、何よりハイドンっぽくないところは、転調のし方でしょう。ハイドンの時代は、属調(5度上)、下属調(5度下)、平行調(同じ調号を持つ長調と短調)、同主調(同じ音から始まる長調と短調)などの近親調へ、さりげなく転調しました。ところがプロコフィエフは、平気で(?!?)遠隔調へ移ります。

特に目立つ(?)のが、ニ長調からハ長調への転調。主調であるニ長調ではファとドにシャープがつきますから、ハ長調の主音ドはニ長調に含まれません。ところが、この遠い調への転調をプロコフィエフは第1楽章冒頭でいきなり断行。2小節間の上行アルペジオの序奏に続いて、8小節から成る第1主題を主調のニ長調で提示した後、そのままハ長調で繰り返すのです(主題の「確保」と言います)。

ニ長調からハ長調に転調すると、落ち込む感じがします。主音がレからドに1音下がることだけが理由ではありません、シャープ2つの調から調号無しの調への転調は、(シャープが減ることになるので)フラット方向への移動。これが「ずり落ち」感を強めています。第1楽章第1主題がハ長調で再現される際も同様。

落ち込む感じがずっと続くのが、終楽章の第2主題部(43小節〜)。アルベルティ・バス音型による伴奏の和音は、2小節、ときには1小節ごとに自由に目まぐるしく変化。最低音が「レード♯ーシーラーソ♯ーファ♯ーミーレ♯ーレード♯ード」と順次進行で下るにつれて、和音もどんどん下降していきます。「ハイドンがもし今日生きていたら作曲する」ような交響曲という、プロコフィエフの意図が分かりやすく現れた、この曲の聴きどころです。

30. 3月 2016 · (274) 《古典交響曲》の古典的なところ はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

10日後に迫った聖フィル第14回定期演奏会のオープニングは、プロコフィエフの交響曲第1番ニ長調作品25(これがまた難しくて……という個人的な愚痴は脇に置いておいて)。1891年に生まれたプロコフィエフが、今から99年前の1917年に完成させた音楽。今までに聖フィルが取り上げた中で、最も新しい曲です(今回の2曲目《エスタンシア》は、さらに新しいのですが。(272) (273) 参照)。

別名《古典交響曲》。プロコフィエフは、「ハイドンがもし今日生きていたら、彼が前にやったように、しかし同時に彼の作曲法において何か新しいものを含むように、作曲すると思った。私はそんな古典派様式の交響曲を作りたかったのだ」と語っています1。マーラーが第10番交響曲を未完のまま亡くなったのが1911年。ストラヴィンスキーがロシア・バレエ団のために《春の祭典》を完成したのが1913年。それより後に作られたにもかかわらず、この曲には確かに、ハイドン的(?!)な点がたくさんあります。

  1. オーケストレーション:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦。トロンボーンとテューバはもちろん、ピッコロやコントラファゴットなども無し。ホルンとトランペットも2つずつ。ハイドンが第2期ザロモン交響曲で完成させた2管編成です ((146) フルートは持ち替えだった:2菅編成完成まで参照)。
  2. 構成:4楽章構成、第2楽章は緩徐楽章。
  3. 調性:主調はシャープ2つの二長調。古典派オーケストラの核である弦楽器が良く響くので、この時代に多用された調です。モーツァルトが彼のおよそ50曲の交響曲((14) モーツァルトが作った交響曲はいくつ?参照)で最も多く使ったのも、ニ長調。第1、第3、第4楽章が主調、第2楽章が属調のイ長調なのも、ハイドン時代の典型。
  4. 長さ:全楽章で10〜15分足らず。交響曲が開幕ベル代わりだった時代、コンサートの枠組みだった時代の長さです((16) 交響曲は開幕ベル参照)。
  5. 和音:3和音(ドミソのような、3度を2つ重ねた3つの音から成る和音)が基本。アルベルティ・バスが使用されています。アルベルティ・バスは古典派時代に鍵盤楽器(例えばフォルテピアノ)などで使われた伴奏法で、ドソミソのような分散和音のパターン。プロコフィエフは第4楽章で、第2主題の伴奏に使用(これがまた超難しくて……という個人的な愚痴も脇に置いておきます)。
  6. 形式:第1、第4楽章はソナタ形式。提示部、展開部、再現部の3部分から成ることや、展開部が提示部や再現部よりもずっと短いことはハイドン的。ソナタ形式の基本形をコラムできちんと説明していませんでしたが、ベートーヴェンが《エロイカ》第1楽章で展開部とコーダを拡大するまで、前者は提示部と再現部のつなぎ、後者は曲を締めくくる、文字通りしっぽに過ぎませんでした。

ハイドンやモーツァルトの交響曲のような、古典派的な要素がたくさん。この時代の、キュートで肩の凝らない交響曲ですが、そこはやはりプロコフィエフ。古典的ではない要素もあります(続く)。

  1. 英文は Redepenning, Dorothea, ‘Prokofiev, Sergey,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 20. Macmillan, 2001, p. 408.
23. 3月 2016 · (273) 管弦楽組曲《エスタンシア》 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

1940年、ヒナステーラの出世作《パナンビ(蝶)》((272) ヒナステラの《エスタンシア》??参照)のバレエ版を初演したアメリカン・バレエ・キャラバンは、彼に新作を委嘱。25歳のヒナステーラは、国民主義のバレエを作ります。1つはアルゼンチン人の生活に基づいた題材を選んだこと。アルゼンチンの大農場エスタンシアにおける、夜明けから翌日の夜明けまでの忙しい活動をバレエにしたのです。

もう1つは、そこで暮らすガウチョ(アルゼンチンなど南米で牧畜に従事する人)の伝統を結びつけたこと。バレエ音楽(なの)に、ガウチョ文学の代表であるホセ・エルナンデス(1834〜86)の2,316行から成る叙事詩『マルティン・フィエロ Martín Fierro』(1872, 1879)の一部を、歌あるいは語りとして取り入れました1 。都会の男と、彼が心を奪われた美しいエスタンシアの女、彼女の周りのたくましいガウチョという三角関係で味付けし、1941年にバレエ音楽《エスタンシア》完成。

初演前にアメリカン・バレエ・キャラバンが解散。ヒナステーラは《パナンビ》のように《エスタンシア》も管弦楽組曲にし、1943年に初演。すぐに評判に(『マルティン・フィエロ』からの引用は、全て除かれました)。3拍子系リズムの変化や、ガウチョにつきものの楽器ギターの模倣など、民俗音楽の直接の影響が見られます。トロンボーンとテューバの無い2管編成のオーケストラと言えば、ベートーヴェンの時代。でも、様々な打楽器とピアノが加わり、カラフルでにぎやかな音楽になっています。

バレエ音楽《エスタンシア》より4つの踊り op. 8a 

  1. 農場で働く人々〉:3小節フレーズ、3小節目だけ拍子の取り方が変わる(6/8拍子で書かれていますが、3小節目は3/4拍子)「ザザザザン、ザザザザン、ザンザンザン」リズムが、準備無しで平行移動する転調を伴って繰り返されます。クラシック音楽とは異質な野暮ったさ。活気に満ちた農場で働く男たちの、野性的で荒々しい様子を表現しているのでしょう。開けっぴろげな雰囲気のまま終了。
  2. 小麦の踊り〉:4曲中この第2曲のみ、ゆったりと静か。印象派の音楽のような響きも。冒頭はフルート、最後はヴァイオリンの叙情的なソロが入ります。それにしても、なぜこのタイトル Danza del Trigo(Wheat Dance)? エスタンシアの生活と小麦、小麦とダンスとこの音楽がどのように関係するのか、わかりません……。
  3. 牛追い〉:タイトルを英語に直訳すると Laborers of Property 土地で働く者。ガウチョのことですね。リズムが特徴的。シンメトリーを避けていて、先が予測できないのです。8/9拍子で始まりますが、3拍子ではなく3/4 拍子1小節の後におまけの3/8拍子部分が付いて、尻切れトンボみたい。このパターンが、3/4拍子や5/8拍子、7/8拍子の部分を挟みながら繰り返されます。なんだか音楽がバタンバタンしている印象。ティンパニのソロの後、勝ち誇ったように唐突に終わります。
  4. 終幕の踊り(マランボ)〉:マランボは急速で激しいアルゼンチンの民俗舞踏。男たちは機敏さと(肉体的な)男らしさを競います。ヒナステーラはマランボで、農場の女の心を得るためにガウチョたちと競争する都会の男を描きました。高域のピッコロで始まり、ギターをかき鳴らすような忙しい伴奏も。後半は同じ主題が何度も繰り返され、熱狂的なお祭り騒ぎに。タンブリンのロールはセミ、ホルン・セクションは象の騒ぎ、フルートは鳥のさえずりなど、自然の模倣も登場します2

と言葉で説明しても、ヒナステーラの《エスタンシア》の音楽を想像するのは難しいでしょう。是非聖フィル定期演奏会にいらして、実際に聴いていただきたいと思います。

  1. この傾向は、ヒナステーラよりも前の世代から始まっています。Schwartz-Kates, Deborah, Alberto Ginastera: A Research and Information Guide, Taylor & Francis, 2011, p. 5.
  2. Fleming, Beth, Program Notes, Symphony Sillicon Valley.
09. 3月 2016 · (272) ヒナステラの《エスタンシア》?? はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

聖フィル第14回定期演奏会まで1ヶ月。今回のプログラムには「ヒナステラの《エスタンシア》」という謎の曲が含まれます。もちろん、ヒナステラが作曲家名、エスタンシアが作品名ですが、馴染みが無い方が多いと思います。まずはじめに、ヒナステラ(以下ヒナステーラ)がどんな人か、調べてみました。

1916年生まれ、今年が生誕100年のアルゼンチンの作曲家です。アルゼンチンは、南米大陸の南側。細長いチリの東に位置します。アルゼンチンの音楽といえば、バンドネオンが活躍するアルゼンチン・タンゴ。《ラ・クンパルシータ》などが有名ですが、彼はクラシック音楽の作曲家。

アルベルト・ヒナステーラは、カタルーニャ系の父とイタリア系の母の間にブエノス・アイレスで生まれました。12歳でウィリアムス音楽院に入り、1935年に作曲で金メダルを得て卒業。36〜38年は国立音楽院で学び、41年から同院などで教えます。45年、グッゲンハイム奨学金で家族とともに渡米し、コープランドに教えを受けました。帰国後の48年、現代作曲家協会を設立。71年以降はジュネーヴに定住。

1937年、バレエ音楽《パナンビ(蝶)》の管弦楽組曲が、フアン・ホセ・カストロの指揮でテアトロ・コロンで初演されるという幸運に恵まれます。ヒナステーラは当時まだ学生でしたが、活気のあるリズムや華やかなオーケストレーションのこの作品で名声を確立。これが作品1に。

彼は、アルゼンチンの民俗音楽を用いて芸術音楽を作りました。スメタナやロシア5人組のような「国民楽派」の20世紀版。あるいは、ハンガリー民謡を採集・分析して自作に活かしたバルトークの、アルゼンチン版ですね。特に「客観的民族主義」の時期と分類される初期(1934〜47)の作品には、アルゼンチンの民俗素材がそのまま使われています。

しかし、「主観的民族主義」の時期(1947〜57)以降は民族主義的な要素は優勢ではなくなります。「新表現主義」の時期(1958〜83)には、12音技法((97) ドレミが平等社会だったら参照)や微分音、複調を用いた作品も。晩年はこのような現代語法が弱まり、調性や民俗素材を用いた初期のスタイルも再び使われました1

3つのオペラ、協奏曲(ピアノ2、チェロ2、ハープなど)、3つの弦楽四重奏曲を含む室内楽曲、声楽作品などを作曲。最後の作品54は、ピアノ・ソナタ第3番(1982)。1942年と44年に試みた2つの交響曲は、いずれも破棄しています。10作以上の映画音楽の多くは、辞職を強要されたフアン・ペロン政権時代(1946〜55)に、収入を得る手段として作られました(コープランドの影響で、ヒナステーラは映画音楽を、意思伝達の重要な媒体と捉えていました)。1983年、ジュネーヴで67歳で没。

来週は都合によりお休みさせていただきます。《エスタンシア》については再来週。

  1. 作曲家本人が自作品を3つに分けたのは1960年代後半。このため、第3期が25年以上と長くなりました。ヒナステーラ研究者の Schwartz-Kates は「最後の統合」(1978〜83)という第4の時期の追加を提唱しています。Schwartz-Kates, Deborah, ‘Ginastera, Alberto,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 9. Macmillan, 2001, p. 876.  第1期の最後と第2期の最初が同じ1947年なのは、この資料によります。「objective nationalism」と「subjective nationalism」をそれぞれ「客観的愛国心」「主観的愛国心」と訳したものがありましたが、この場合の nationalism は民族主義(あるいは国民主義)と訳すべきでしょう。
02. 3月 2016 · (271) コラム番外編:ヴァティカン図書館で調査して来た!! はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

聖フィル♥コラムを3週お休みしてごめんなさい。ローマ・パリ19日間の調査旅行から戻りました。今回は番外編として、旅行で尋ねた6か所の施設(ヴァティカン図書館、カザナテンセ図書館、ローマ国立中央図書館、サンタ・チェチリア音楽院図書館、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会古文書館、パリ国立図書館)から、立ち入る機会が最も少ないと思われるヴァティカン図書館について書きます。

ヴァティカン図書館(Bibliotheca Apostolica Vaticana)のホームページから稀覯本部門長に英語で2度問い合わせをしたところ、英語で丁寧な返事が来ました。実は今回の旅行では、ローマの複数の図書館や教会となかなか連絡がつかず、かなりハラハラさせられました。連絡がついても、英語メールの返事はイタリア語やフランス語がほとんど。ヴァティカン図書館は対応に慣れていると、ありがたく思いました。

ヴァティカン市国では、サン・ピエトロ広場や大聖堂、ヴァティカン美術館以外、外国人の立ち入り禁止。スイス衛兵が見張っています(写真1左上)。私の場合は、稀覯本部門長と何度かメールをやり取りをするうちに入国(!!)が許可されました。プリントアウトして、教皇庁のサンタ・アンナ通用門のポリスに見せるようにという書類(2つの鍵が交差した教皇庁マーク入り)が、添付で届きます。

ヴァティカン市内に入ろうとする人のほとんどは、教皇庁直轄のヴァティカン薬局で薬を買う人たち。彼らは医師の処方箋を見せ、身分証明書を預けて一時的な通行許可症をもらいます。同じ列に並びましたが、身分証明書(パスポート)は図書館カード作成に必要なので、返してもらって図書館の建物へ(写真1右)。パスポートと所属大学の紹介状を出して書類を書き込み、写真入り図書館カードのできあがり。

写真1左上:サンタ・アンナ通用門のスイス衛兵(手前側がヴァティカン市国)。左下:図書館がある回廊の向こうの、サン・ピエトロ大聖堂クーポラ。右:図書館の入口

写真1左上:サンタ・アンナ通用門のスイス衛兵(手前側がヴァティカン市国)。右:図書館入口。左下:図書館がある回廊の向こうに、サン・ピエトロ大聖堂クーポラ。

このカードは、建物の出入り、ロッカーの割り当てと開閉、閲覧申請だけではなく、2階以上の図書セクションのゲートを開けるのにも必要。ゲートを出るとき(たとえば、ロッカー内の水を飲みたいとき)は、閲覧室の係員に手続してもらったカードでなければゲートが開きません。再入室のときも同様。こんなややこしい2重システムはヴァティカンだけ。仕事が終わるまで閲覧室から出るなっていうことですかね??

稀覯本閲覧室は、雑誌セクションや印刷本の閲覧室のさらに奥。それほど大きくない部屋で、多くの研究者が仕事していました。私はアニムッチャやパレストリーナの出版楽譜、ひとりでは持てないような大きく重いミサ曲の手写本を調査((249) 今と同じ?! 16世紀の楽譜参照)。

他にも楽譜の写本を調べている人がいましたし、印刷あるいは手写による宗教の書物を調べている人、大きな巻物をそっと開いてもらって地図を調べている人、彫刻か何かの下絵?(あるいは建物の設計図?)を調べている人、漢字が並んだ薄い紙の古い冊子を調べている人もいました。

2日目からは、スイス衛兵に図書館カードを見せるだけでオーケー。疲れると中庭(写真2)で一休み。落ち着いたオープンな雰囲気の図書館でしたが、驚いたのは資料の複写料金。申し込めば誰でも利用出来ますが、資料1つにつき、A4の白黒コピー最初の1枚が18ユーロ、2枚目から10ユーロって暴利! 他の図書館では、高品質のデジタル複写が高くても1枚3ユーロくらいだったのに。さすが、免罪符の時代から商売上手な教皇庁(!?!)と、感心させられました。

写真2:図書館中庭。植えられているのはシクラメン

写真2:図書館中庭。地植えされているのはシクラメン