14. 9月 2016 · (290) 標題「ロマンティッシェ(ロマンティック)」について はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

インターネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」。必要な情報を手軽に得られるので、私もよく閲覧します。しかし、以前から指摘しているように、少なくとも西洋音楽関係の記事(article)に関しては、注意が必要ですよ。例えば、ブルックナーの交響曲第4番。概要に続く「副題について」という部分に:

副題は原語では「Die Romantische」である。しかしこの副題は出版されている譜面には添えられていない点に注意しなければならず、ブルックナー自身が「Die Romantische」という標題を付けたかは分からない。(以下略)

でも実際には、《ロマンティッシェ》という形容詞はブルックナー自身が、1874年の初稿の段階からすでに用いているのです(譜例1参照)。なぜウィキペディアには逆が書いてあるのかな??

譜例1:ブルックナー:交響曲第4番終楽章1874年稿自筆譜(A-Wn, Mus.Hs.6082)タイトルページ

譜例1:ブルックナー:交響曲第4番1874年稿自筆譜(A-Wn, Mus.Hs.6082)タイトルページ

この第4番交響曲でブルックナーが表そうとしたことの手がかりは、「ロマンティックな」という形容詞だけではありません。例えば、1878年にこの曲を改訂する際、ブルックナーが評論家タッペルトに宛てた10月9日付の手紙によると1

私は今第4、ロマンティッシェ交響曲(1、2、4楽章)を、まったく新しく、そして短く書き直しました。これでこの曲は十分な効果を発揮することでしょう。新しいスケルツォだけはまだ出来ていません。これは狩を描写します。またトリオは、狩人たちの前で食事の間に演じられる舞曲を示すものです。

興味深いのは、作曲後かなりたった1890年に、ブルックナーがパウル・ハイゼに宛てた手紙の中の記述。他の人の空想による解釈ではなく作曲者本人が、「ロマンティッシェ」の内容を具体的に説明しているのです(12月22日付)2

ロマンティッシェ第4交響曲は、第1楽章では町の庁舎から一日の始まりを告げるホルンが意図されています。それから生活が展開されます。歌謡的な楽段のテーマは、シジュウカラの「ツィツィペー」という鳴き声です。第2楽章は、歌、祈り、小夜曲。第3は狩りと、トリオでは森での昼食の間に手回し風琴が奏される様子を[描いています]3

音楽との結びつきは明らか。第1楽章のシジュウカラの鳴き声は、ヴァイオリンによる第2主題の対旋律((280) 主題が3つII? ブルックナーのソナタ形式参照)。ウィリアムソンによると第2楽章の3つは4

  • 歌:3小節目からのチェロの第1主題
  • 祈り:練習番号B(25小節)からの弦楽器のコラール風部分
  • 小夜曲:練習番号C(51小節)からのヴィオラの第2主題((285) ヴィオラの出番!!参照)5

このような標題的な要素はいずれも、この「ロマンティッシェ」交響曲の雰囲気や状況と矛盾せず、解釈の助けとなっています。また、ブルックナーが第3楽章スケルツォを作曲する前に、その標題について触れている(上記1つ目の引用)ことも重要。標題は、曲が完成してから後付されるものではなく、予め定められそれに沿って作曲されるものだからです。全体の内容を示す説明は添えられていないものの、第4番交響曲は標題音楽に近い性格を持っていると言えます。

最近のアマチュア演奏会のプログラム解説は、ネットの情報を使ったものが多いようですが、西洋音楽に関してはウイキペディア日本語版は要注意。ネットの情報を使うなら、最低限、署名入りのものを6。来週のコラムは、都合によりお休みさせていただきます。

  1. 根岸一美「ブルックナーの交響曲における標題性」根岸一美&渡辺裕編『ブルックナー/マーラー事典』東京書籍、1998、280ページ。
  2. 前掲書、281ページ。これとよく似た標題内容が、1884年12月8日付でヘルマン・レーヴィ宛てにも書かれているそうです。
  3. 文中の手回し風琴については、(291) 《ロマンティッシェ》第3楽章トリオの「手回し風琴」とは?をご覧ください。2016/9/28 追記。
  4. Williamson, John, ‘Programme symphony and absolute music, Williamson, John, ed., The Camgridge Companion to Bruckner. Cambridge University Press, 2004, p.113.
  5. ウィキペディア日本語版のように、この楽章をロンド形式と捉えることもできますが、私はむしろソナタ形式に近いと考えます。どちらの形式にも当てはめない解釈もあります。
  6. 私パレストリーナのプロフィールは、(0) 聖フィル♥コラム始めますに入れてあります。
07. 9月 2016 · (289) コラム番外編 トーマス教会とバッハ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

行って来ました、ライプツィヒ((288) ライプツィヒとバッハ参照)!! 東ドイツの一部だったことが信じられないほど、おしゃれで魅力的な街でした。今回のコラム番外編は、写真を添えたご報告です。

写真1左は、西日に映えるトーマス教会正面。1723年から亡くなる1750年まで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハがカントルを務めた教会です。この右側面にあたる教会南側の広場(写真1中)には、オルガンの前に立つバッハ像(写真1右、1908年ゼフナー作1)。記念撮影の観光客で、朝から大にぎわい(ライプツィヒ在住20年以上の友人が勧めてくれた宿が、この像の真向かいでした)。右手に丸めた楽譜を持ち、指揮しようとしています。

写真1左:ライプツィヒのトーマス教会正面、中:トーマス教会南側広場、右:バッハ像

写真1

祭壇に向かって右側の窓には、ステンドグラスが施されています。バッハの肖像画(写真2左と中上)はもちろん、バッハと同様ライプツィヒに縁の深い、マルティン・ルター(写真2右)やメンデルスゾーンの肖像画(写真2中下)のステンドグラスもありました。

写真2

写真2

写真3左上は教会内部。向こう側=東側に祭壇があり、内陣にはバッハの墓(写真3左下)。第2次世界大戦で破壊されたため、1949年からここに置かれています。祭壇に向かって左側の2階には、2000年に設置されたバロック様式のオルガン(写真3中下)。祭壇の反対側、会衆席後ろの2階にあるオルガン(写真3右下)はロマン派様式で、礼拝などでは左側面のオルガンを弾いていました。

トーマス教会では、夏休みなどを除く毎週金曜6時からと土曜3時から、トーマス教会少年合唱団の公演が開かれます。金曜は無伴奏。土曜はゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが伴奏に加わったカンタータも。バッハの時代も、この2階後ろの聖歌隊席(写真3右上)でカンタータが演奏されたそうです。

いずれの公演もオルガン演奏で始まり、会衆も一緒に歌う聖歌やコラールを含む礼拝形式で行われますが、途中に入るのは説教というよりむしろスピーチに近い短いもの(写真3中上は、2公演と日曜礼拝のプログラム)。私が行った金曜(8/19)のコンサートには、通奏低音の伴奏が加わっていました。また翌土曜の公演では、バッハのカンタータ33番などの演奏前に、新しいトーマスカントル(ゴットホルト・シュヴァルツ氏)の就任式があり、18世紀にバッハが担っていた伝統が、21世紀の現在まで引き継がれていることを実感させられました。

写真2

写真3

  1. ライプツィヒ観光局のサイトより。
10. 8月 2016 · (288) ライプツィヒとバッハ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ドイツのライプツィヒと言われて思い浮かべる作曲家は? 1835年にゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者になった、メンデルスゾーン? 長くライプツィヒで活動したシューマン? ライプツィヒ生まれのヴァーグナー? 縁の作曲家は多いのですが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハも忘れないでください。1750年に没するまでの後半生を、ライプツィヒで過ごしました。

図1:ライプツィヒ

図1:ライプツィヒ

ケーテン公の宮廷楽長から、ライプツィヒ市主要教会のひとつトーマス教会のカントルに転職。社会的地位はカントルより宮廷楽長(カペルマイスター)の方が上。さらに、前任者ヨハン・クーナウ(1660〜1722)の死去に伴い、ライプツィヒ市参事会が後任の第1候補にしたのはゲオルク・フィリップ・テレマン(1681〜1767)、第2はクリストフ・グラウプナー(1683〜1760)でした。2人が辞退したため、3番目のバッハがカントルに。

トーマスカントルの職務は2種類。ひとつは、トーマス教会付属学校で教えること。バッハは音楽は自分で教えましたが、ラテン語の授業は自費で代理を雇っていました。もうひとつは、ライプツィヒ市の音楽監督。礼拝における教会カンタータの演奏の他、結婚式や葬式などにも音楽を提供しました。

1723年5月末にライプツィヒに移ったあと、バッハは初めの6年間に、教会暦5年分の教会カンタータを作ったようです(激務に関しては (159) バッハの一週間参照)。カンタータは1年間で約60曲必要ですから、5年分でおよそ300曲1!!!(散逸が惜しまれますね)。カンタータの他に、《ヨハネ受難曲》(1724)や《マタイ受難曲》(1727)も作曲。1729年以降は、コレギウム・ムジクムの活動を精力的に行いました。

私事で恐縮ですが、一昨年夏のボストン、昨夏のロンドンとフィレンツェ、今春のローマとパリ((271) ヴァティカン図書館で調査してきた!!参照)に続いて、今夏はライプツィヒで資料研究をしてきます((249) 今と同じ?! 16世紀の楽譜参照。研究費をいただけるのは今年度が最後)。短い滞在ですが、州立図書館で写本調査をしながら、バッハやメンデルスゾーンが暮らした街を目に焼き付けたいと思います。ライプツィヒの後、ブリュッセルとコペンハーゲンの王立図書館でも資料調査するため、聖フィル❤コラムは3週続けてお休みさせていただきます。みなさま、どうぞ良い夏をお過ごしください。

  1. Stauffer, George B., ‘Leipzig,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 14, Macmillan, 2001, p. 314.
03. 8月 2016 · (287) ヴァイオリンのハイ・ポジション はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

いつ頃からヴァイオリンのハイ・ポジションを使うようになったのでしょう?? 《ロマンティッシュ》第2楽章ヴィオラの努力目標((285) ヴィオラの出番!!参照)達成のため練習に励んで(?!)いて、不思議に思いました。ヴァイオリン族の弦楽器における左手の位置を、ポジションと言います。ネックの先端寄りが第1ポジションで、ト音(真ん中のドの下のソ)から2点ロ音(ト音記号の上に加線1本のシ)までの音域をカバー。これよりも高い音を出すためには、左手をより高いポジションに移動させなければなりません。

図1は初期のヴァイオリン演奏図((99) 高音域を使わない理由から再掲。2年前に出版した『オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識』の口絵にも入れました。(0) ”パレストリーナ” プロフィール参照)。こんな楽器の構え方では、左手を動かせそうにありませんね。

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)

それもそのはず。「ヴァイオリンはその誕生以来16世紀末までは主として舞踏の伴奏に用いられ、現在より短くて幅広いネックと指板をもち、左胸と左手でささえられた。音域は上3弦の第1ポジションのみ(後略)1」。G線は使わなかったということ?!! この奏法、フランスでは18世紀初頭まで残りましたが、イタリアでは17世紀半ばにソナタが盛んになり、ヴァイオリンは旋律楽器に。

ソナタの発展と並行して楽器が改良され、ネックと指板は以前より長くなりました。また、左手が自由に動けるようヴァイオリンを肩の上にのせ、ポジション移動のときは緒止板の右側をあごでおさえるように。ヨハン・ゼバスティアン・バッハが使ったヴァイオリンの音域は、この時代一般的だった3点ホ音を超えて、3点イ音(加線4本)まで2。一方で彼のヴィオラの音域が第3ポジションの2点ト音までなのは、旋律楽器として使われることが少なかったからでしょう。

高いポジションは、次第に低い弦でも使われるようになりました。レオポルト・モーツァルト(1756)とフランチェスコ・ジェミニアーニ(1751)は良いヴァイオリン奏者に、すべての弦で第7ポジションまで弾けることを要求しています3。緒止板の左側でヴァイオリンを保持することで、高いポジションやG線の徹底的な使用を可能にしたのがヴィオッティ(1755〜1824)。1820年にシュポーア(1784〜1859)が初めて固定したあご当てを使用。左手はさらに自由に動かせるようになりました。

と調べてきて、ようやく気がつきました。ハイ・ポジションは、第7ポジションよりも高い位置を一括する呼び方なのですね4。《ロマンティッシュ》のヴィオラの努力目標、私は途中からD線も使うので第7ポジションまでに収まります。ハイ・ポジションとは言わないのでした。

  1. 柴田純子「ヴァイオリン」『音楽大辞典1』、平凡社、1981、135ページ。
  2. 久保田慶一「ヴァイオリン」『バッハ キーワード事典』、春秋社、2012、355ページ。「1点ト音から」書かれていますが、「ト音」の誤りでしょう。
  3. Monosoff, Sonya, ‘Position,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 20, Macmillan, 2001, p. 207.
  4. 無記名「ポジション」『音楽大辞典5』、平凡社、1983、2350ページ。
27. 7月 2016 · (286) イギリスの作曲家エルガー はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

中学生のとき、音楽の授業でブリテンの《青少年のための管弦楽入門ーーパーセルの主題による変奏曲とフーガ》を鑑賞しました。音楽の先生が「イギリスや日本のような島国には、なぜか有名な作曲家が生まれない」と言ったのが忘れられません。「バロック時代のパーセルの後、20世紀のブリテンまで空いてしまう」と。

クラシック音楽の歴史が浅い日本をイギリスといっしょにしたら、イギリスの人が怒りますよね。それはともかく、イギリス音楽史に空白期間があるのは確か。早くから公開演奏会が行われ、音楽の消費という面では常に先進地であったイギリス(ロンドン)だけに、自国の作曲家に恵まれなかった事実は重く感じられます。

ルネサンス時代は、イギリス音楽史の黄金期。大陸に大きな影響を与えたジョン・ダンスタブル(c.1390〜1453)をはじめ、ジョン・タヴァナー(c.1490〜1545)、トマス・タリス(c.1505〜85)、ウィリアム・バード(1543〜1623)、トマス・モーリー(1557〜1602)、オーランド・ギボンズ(1583〜1625)らが多くの声楽曲、ジョン・ダウランド(1563〜1626)がリュート音楽を作りました(すみません、16世紀が専門なのでつい大勢並べてしまいました)。17世紀にはヘンリー・パーセル(c.1659〜95)が、優れた劇作品を残しています。しかし、パーセルの死後18世紀から19世紀末まで、芸術音楽の分野におけるイギリス人作曲家の空白期間に1

この期間にイギリスで活躍した作曲家はたくさんいます。イギリスに帰化し、音楽事典に「イギリスの作曲家」とも書かれるバロック時代のヘンデル((188) イギリスの作曲家ヘンデル?参照)、ロンドンでのザロモン・コンサートで交響曲の在り方を変えた古典派のハイドン((19) 独り立ちする「交響曲」参照)、自国よりも先にイギリスで名を上げ作曲家の地位を確立したロマン派のドヴォルジャーク((209) ドヴォルジャークとイギリス参照)など。ただ、彼らはイギリス生まれではありません。

イギリス(人作曲家による)音楽史は、エドワード・エルガー(1857〜1934。次回聖フィル定演で《チェロ協奏曲》を取り上げます)の登場でようやく再開します。そして、彼によって活気づけられたように、イギリスに続々と作曲家が誕生。フレデリック・ディーリアス(1862〜1934)、ヴォーン・ウィリアムズ(1872〜1958)、グスタフ・ホルスト(1874〜1934)、ウィリアム・ウォルトン(1902〜83)、そしてベンジャミン・ブリテン(1913〜76)。パーセルからエルガーまでの空白が嘘のよう。豪華なラインナップですね。

  1. アーサー・サリヴァン(1842〜1900)が台本作家ウィリアム・ギルバートと組んで作っていたコミック・オペラは、オラトリオやフランス風のグランド・オペラよりも下位のジャンルとみなされていました。
20. 7月 2016 · (285) ヴィオラの出番!!《ロマンティッシェ》第2楽章第2主題 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

ブルックナーの交響曲第4番《ロマンティッシェ》第2楽章。1小節のゲネラルパウゼの後、息の長い第2主題が始まります。32小節も続く第2主題の全てを奏でるのは、ヴィオラ1。重要な主題をヴィオラがこれほど長く任されるのは、とても珍しいことです。

良いメロディーをもらうのは、いつもファースト・ヴァイオリンかチェロ。稀にヴィオラが与えられても、チェロなど他の楽器と重ねられます。オーケストラや弦楽四重奏でヴィオラを弾いていたベートーヴェンやシューベルトの音楽でも、ヴィオラは脇役。ブルックナーが《ロマンティッシェ》でこの長い旋律全てをヴィオラだけに与えたのは、単に慣例を重視しなかったからかもしれません。

ヴィオラ奏者が泣いて喜ぶ(?!)主旋律なのに、努力目標が「G線」。最初のソの音は、G線の解放弦の1オクターヴ上。メロディーの最高音は、このソの上のミ♭。再現部では長2度上のラから始まるので(面白い調設定ですね)、最高音はファ。音程は取りにくいし、音は痩せてしまうし、もう必死。

それなのに田部井剛先生ったら、「そんな貧窮問答歌みたいな音で弾かないで」。あまりにも素晴らしい比喩で、みんな大爆笑でした。本番で思い出しちゃったらどうしましょう!?!   笑いをこらえるのは、ハイ・ポジション以上の試練かも(ちなみにこのハイ・ポジ努力目標、練習していると結構はまります)。

ところで私、貧窮問答歌がどんな歌か、とっさに全く思い浮かびませんでした。なぜか「銀も金も玉も」が浮かんで、これじゃないよなと思ったくらい。調べてみたら「銀も金も」と貧窮問答歌、いずれも山上憶良(ちょっとホッとしました)。貧窮問答歌はすごく長く、教科書には意訳が載っていただけだったと思います。万葉集の時代はまだ仮名文字が成立しておらず、「風雑 雨布流欲乃 雨雑 雪布流欲波」と始まることを(ヴィオラとは関係ないけれど)書き添えておきます。

  1. 私はこの楽章を、ロンド形式よりもむしろソナタ形式と考えます。
13. 7月 2016 · (284) バッハの数 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

先日、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのチェンバロ協奏曲 全曲演奏会に行きました。バッハのチェンバロ協奏曲って、いくつあるかご存知ですか? なんと全部で14曲もあるのですね。お見それしました1。でも、その多さよりもこの数をさらっと「バッハの数」と表現していたのが、心に残りました。

そう、14はバッハの数です。なぜ?  アルファベットのAから順番に数字を対応させると、BACHのBが2、Aが1、Cが3、そしてHが8。合計14になるからです。彼自身、自分の数として意識していました。たとえば、平均律クラヴィーア曲集第1巻 第1番のフーガ。

平均律クラヴィーア曲集とは、長調短調各12ずつ、24の調全てのプレリュードとフーガのセットを、ハ長調から順番に収めたもの。第1巻はケーテン時代の1722年、第2巻はライプツィヒ時代の1742年に完成されました。ハンス・フォン・ビューローが「ピアノの旧約聖書」と呼んだことも知られています。

平均律第1番ハ長調の4声フーガでは、フーガ主題はアルト声部に始まります(譜例1)。「ド-レ-ミ-ファ-ソ-ファ-ミ-ラ-レ-ソ-ラ-ソ-ファ-ミ」と、計14個の音から成っていますね。この曲集へのバッハの署名とみなされます2

譜例1:J.S.バッハ作曲 平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調 BWV846 よりフーガ冒頭

譜例1:バッハの署名(平均律第1巻 第1番ハ長調 BWV846 よりフーガ冒頭)

ヨハンとゼバスティアンの頭文字、J(9番目)とS(18番目)を加えると、9+8+14で413。14の逆!  平均律第1巻を締めくくる、第24番ロ短調のプレリュードとフーガの小節数合計は、47+76で123。ハリー・ハーンは、これが41の3倍であり、詩篇41が詩篇の第1部を閉じるものであったため、バッハはこれに従って曲集を閉じたと書いています4

でも、14はともかく、41や123をバッハが意識したのかどうか。2巻最後のプレリュードとフーガを調べてみましたが、小節数の合計は66+100の166小節。41の4倍より微妙に(2小節)多いのです。詩篇第2部は第72までありますが、その倍数でもありません。

音符や声部、小節などの数をさまざまに計算し、キリスト(CHRISTUS = 112)、クレド(CREDO = 43)のような数も含めて意味づけを試みると、際限が無くなります。私には、詩篇と小節数を結びつけるハーンの説よりも、平均律第1巻最後のフーガと、第2巻最初のフーガの主題の音符の数が、どちらも21であることの方が興味深く感じられました。ちなみに、バッハの名前全て(JOHANN SEBASTIAN BACH)を数字に置き換えると、158。この総和(1+5+8)も14です。神秘的ですね。

  1. 4台用が1曲、3台用2曲、2台用3曲、そして1台用が8曲で、BWV1052〜1065です。
  2. 岸啓子「バロックの器楽」『はじめての音楽史 増補改訂版』音楽之友社、2009年、67ページ。
  3. ラテン語とは異なりドイツ語にはIとJが両方存在するのに、IもJも9と数えます((291) 練習番号Jが無い理由参照)。バッハが精通していたと考えられる中世ユダヤ教の「カバラ」と呼ばれる伝統では、このような数え方をするということでしょうか。
  4. 堀朋平「象徴法と引用」『バッハ キーワード事典』春秋社、2012年、126ページ。
29. 6月 2016 · (283) 弦楽器の穴 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

弦楽器の表板には、左右に2つの穴が空いています。これが響孔。英語の soundhole の直訳ですね。ヴァイオリン属の穴は f の形をしているので、f 字孔と呼ばれます。響孔は初めから f 字型だったわけではなく、変化を繰り返してきました。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスは、弦を擦って音を出す擦弦楽器。このヴァイオリン属のご先祖様ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(イタリア語で「腕のヴィオラ」の意味)や、コントラバスのご先祖様ヴィオラ・ダ・ガンバ(「脚のヴィオラ」。(31) 仲間はずれはだれ?参照))も含まれます。元来、リュートのような指で弾いて音を出す撥弦楽器を弓奏したと考えられます。つまり、初めの響孔は円型。リュートでは彫刻が施され、ロゼッタと呼ばれます(図1参照)。

図1:ハーレムのリュート、賢王アルフォンソ10世の『ゲームの書』、1283より

図1:ハーレムのリュート、賢王アルフォンソ10世の『ゲームの書』、1283より

弓で擦ると、指で爪弾くよりずっと大きな張力がかかります。そのため、弦は駒の上を通って緒止め板に固定されるようになりました。表板の中央に駒が置かれたので、響孔は半円形2つに分かれ(図2左)、やがて細くなります。フィドル(擦弦楽器を指す英語)の図像の多くはこの形(図2右)。

図2左:14世紀の写本に描かれたフィドル弾き。図2右:フィドルとパイプを奏する天使、Francesco Botticini、c.1475-97

図2左:ボエティウス『音楽綱要』の14世紀の写本に描かれたフィドル弾き。右:フランチェスコ・ボッティチーニ、奏楽の天使より、c. 1475〜97

両端の弦を弓奏するときの邪魔にならないよう、楽器本体の側面にくびれがつけられました。響孔の半円形は、くびれに従って逆の向きに。これが、ヴィオラ・ダ・ガンバの C 字孔です(図3)。やがて、その曲がった柄が反対方向にねじれ、f 字形に。「表板の振動力線を最も阻害しない形」になりました1。13〜15世紀にかけてのことです。このような変化は直線的ではありませんし、様々な変種も存在しますが、擦弦楽器の理想を求めて改良が加えられてきたのです(来週の聖フィル♥コラムはお休みします)。

図3:ヴィオラ・ダ・ガンバ

図3:ヴィオラ・ダ・ガンバ

  1. 『図解音楽事典』ミヒェルス編、白水社、1989年(dtv−Atlas zur Musik, Verlag GmbH & Co., 1977, 1983)、38ページ。
15. 6月 2016 · (282) ブルックナー・リズムの元?? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

ブルックナーと言えば、2+3のブルックナー・リズム。4/4拍子の1小節の前半に4分音符2つ、後半(の4分音符2つ分)に3連符を入れるリズム(3連符が先の3+2の場合も)。4分音符5つのうち、後の3つが前の2つより1/3拍ずつ短い。タンタンタタタとタンタンターターターの中間だから、タンタンタ-タ-タ- かな。

交響曲第4番《ロマンティッシェ》にも、た〜くさん出てきます。第1楽章では第1主題の後(43小節〜)や、第3主題(練習番号D)。第3楽章のスケルツォ主題も。ここは2/4拍子なので、8分音符のブルックナー・リズム、しかもアウフタクト付きです。終楽章の序奏部後半では、このスケルツォ主題をホルンが回想。29小節から4分音符、35小節からは8分音符のブルックナー・リズムの掛け合いがみられます1

見た途端、聴いた途端にブルックナーだ!とわかるこのリズム。いつ、どうやって思いついたのか知りませんが、もしかしたら「元」はこれ? 譜例1をご覧ください(クリックで拡大します)。

譜例1:ブルックナー《ロマンティッシュ》終楽章1874年稿自筆譜(W-An, Mus.Hs.6082)

譜例1. ブルックナー:交響曲第4番終楽章1874年稿自筆譜(A-Wn, Mus.Hs.6082)603小節〜

《ロマンティッシェ》終楽章コーダ、自筆譜の1ページです。上から3段(フルート、オーボエ、クラリネット)と、1段(ファゴット)おいた5、6段目(ホルン)。1小節に四分音符が5つずつ。おおお、ここにもブルックナー・リズム!??   あれれ、上に5、5、5と書いてあります。つまり、これは5連符!

5連符なんて知らない!と言われそうですが、これは1874年作曲の第1稿。上3段は、繰り返し記号の小節もやはり5連符。下5段の弦楽器(うわぁ、ヴィオラが「III」と略されている!!! サード・ヴァイオリン?? アルト記号の記譜ですが)は16分音符と8分音符。割り切れな〜い。演奏が大変そう。

譜例2:ブルックナー《ロマンティッシュ》終楽章1878年2稿自筆譜(W-An, Mus.Hs.19476)

譜例2. 同上1878年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.3177, Band 3) 468小節〜

譜例2は、1878年に改訂した終楽章(”Volksfest”)。5連符は無くなっています。上から3段(フルート、オーボエ、クラリネット)は四分音符と八分音符のタンタカタンタン。次の3段(ファゴットとホルン)をとばして、上から7、8段目(トランペット)は3+2のブルックナー・リズムですね。タ-タ-タ-タンタンとタンタカタンタンが、同時進行。

さらに、その下の段(なぜかここにティンパニ)をとばした次の3段(10〜11段目のトロンボーンと12段目のテューバ)を見ると……。この小節にも音符が5つ。でも、さっきと逆の2+3!! ということは、2種類のブルックナー・リズム、タ-タ-タ-タンタンとタンタンタ-タ-タ-が同時進行。演奏は5連符よりずっと楽ですが、タンタカタンタンも重なって何だかわからない。まだ5連符に未練がある?2

1880年稿の終楽章(譜例3、ハース版)では、前半の3連符と後半の3連符のみ採用され、6連符に。5連符もダブルのブルックナー・リズムも無くなって、すっきり。演奏はとても楽になりました。ただ、紆余曲折の痕跡が全く残っていなくて、何だかちょっと残念な気もしますね(来週の聖フィル♥コラムはお休みさせていただきます)。

譜例3:ブルックナー交響曲第4番終楽章1880年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.19476) 537小節〜

譜例3. 同上1880年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.19476) 537小節〜

  1. さらに39小節からは3+2と2+3のブルックナー・リズムが重ねて用いられています。
  2. 金子建志『ブルックナーの交響曲』音楽之友社、1994年、129ページ。

コラールと言われたらみなさんは、ブラームスの交響曲第1番終楽章、序奏部のトロンボーン(とファゴット族)3重奏を思い浮かべるでしょうか。あるいはブルックナーの、たとえば第4番《ロマンティッシュ》第1楽章展開部終盤で、トランペット&トロンボーン&テューバがffで吹き鳴らすところ(305小節〜)? 第5番終楽章には、ブルックナーご本人が「コラール」と書き込んだ部分(583小節〜)もありますね。

でも、このようなコラールは正確には「コラール風」(あるいは「コラール的」)楽節。本物のコラールではありません(このようにな「コラール風」もコラールと呼ぶことがあるのでややこしいのですが)。

譜例1:J. S. バッハ:カンタータ BWV 140《目覚めよと呼ぶ声が聞こえ》より終曲(第3節)

譜例1:J. S. バッハ:カンタータ BWV 140《目覚めよと呼ぶ声が聞こえ》より終曲(第3節)

バッハの声楽作品に詳しい方は、本物をご存知ですよね。コラールは、ルター派プロテスタントの賛美歌。4声体のホモフォニーの形で(譜例1参照)、教会カンタータや受難曲の核になっています。上記「コラール風」楽節の元ですね。ただこれは、いわば成長した大人のコラール。もともとはモノフォニー(単旋律)でした。

カトリックの典礼音楽の歌詞は、聖職者以外は理解できないラテン語。聖歌隊が歌うお経のようなグレゴリオ聖歌や、複雑で難しいポリフォニーを、意味もわからずありがたく拝聴しているだけ。

宗教改革者マルティン・ルター(1483〜1546)は、「会衆を礼拝に積極的に参加させようとする意図から歌唱による祈願や賛美を重視」1。みんなで歌うには、母国語であるドイツ語の歌詞の曲が必要と考えました。単旋律なら、楽譜を読めない人も聞き覚えて歌えます。無伴奏のユニゾンで歌われたこのような曲は初め、geistliche Lieder(宗教的な歌)とか christliche Gesäng(キリスト教の歌)と呼ばれていました2(グレゴリオ聖歌の旋律を指す「コラール」という語で呼ばれるようになったのは、16世紀後半)。

1524年にヨハン・ヴァルター(1496〜1570)がヴィッテンベルクで、聖歌隊用に3〜5声に編曲した Geystliches Gesangk Buchleyn を出版(図1参照)。宗教改革の発端となった、ルターの「95か条の論題」発表から、わずから7年という早さに驚かされますが、考えてみると聖歌隊は、ついこの前まで壮麗なポリフォニーの宗教曲を歌っていた(し、信者たちだって、歌詞の意味はわからないながら聞いていた)のですからね。旋律1本を斉唱するだけでは、音楽的におもしろくなかったのでしょう。

図1:Johann Walter, Geystliches Gesangk Büchleyn, Titelpage, Wittenberg, 1524

図1:Johann Walter, Geystliches Gesangk Büchleyn, Titelpage, Wittenberg, 1524

ルターの序文が付いたこの最初の賛美歌集には、32の聖歌の詩用の35の旋律が、38種類に編曲されて収められています。カトリックの宗教曲のような複雑なポリフォニー様式と、旋律と同じ動きで和音を連ねる(より新しい)和弦様式の、2種類の編曲法が使われました。後者が、大人のコラールの出発点。

ただ、譜例1のようにコラール旋律がソプラノに置かれたのは、ルーカス・オジアンダー(1534〜1604)が1586年にニュルンベルクで出版した Fünffzig geistliche Lieder und Psalmen から3。ヴァルターの賛美歌集では、多声作品における最重要声部テノール((85) アルトは高い参照)に、主旋律が置かれていました。

まとめ:ルター派プロテスタントの賛美歌であるコラールは、もともとモノフォニーだった。4声体の編曲では、しばらく内声に置かれていた。バッハがカンタータの中で用いたような大人のコラールになってからも、そのまま引用した場合(たとえばメンデルスゾーンの通称「宗教改革」交響曲。(257) メンデルスゾーンが作った交響曲はいくつ?参照)以外、「コラール風」と呼ぶのが正しい。

来週のコラム更新はお休みさせていただきます。

  1. 辻荘一「コラール」『音楽大事典2』平凡社、1982、938ページ。
  2. Marshall, Robert L. / Leaber, Robin A., ‘Chorale,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 737.
  3. Marshall, Robert L. / Leaber, Robin A., ‘Chorale settings,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 748.