09. 3月 2016 · (272) ヒナステラの《エスタンシア》?? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

聖フィル第14回定期演奏会まで1ヶ月。今回のプログラムには「ヒナステラの《エスタンシア》」という謎の曲が含まれます。もちろん、ヒナステラが作曲家名、エスタンシアが作品名ですが、馴染みが無い方が多いと思います。まずはじめに、ヒナステラ(以下ヒナステーラ)がどんな人か、調べてみました。

1916年生まれ、今年が生誕100年のアルゼンチンの作曲家です。アルゼンチンは、南米大陸の南側。細長いチリの東に位置します。アルゼンチンの音楽といえば、バンドネオンが活躍するアルゼンチン・タンゴ。《ラ・クンパルシータ》などが有名ですが、彼はクラシック音楽の作曲家。

アルベルト・ヒナステーラは、カタルーニャ系の父とイタリア系の母の間にブエノス・アイレスで生まれました。12歳でウィリアムス音楽院に入り、1935年に作曲で金メダルを得て卒業。36〜38年は国立音楽院で学び、41年から同院などで教えます。45年、グッゲンハイム奨学金で家族とともに渡米し、コープランドに教えを受けました。帰国後の48年、現代作曲家協会を設立。71年以降はジュネーヴに定住。

1937年、バレエ音楽《パナンビ(蝶)》の管弦楽組曲が、フアン・ホセ・カストロの指揮でテアトロ・コロンで初演されるという幸運に恵まれます。ヒナステーラは当時まだ学生でしたが、活気のあるリズムや華やかなオーケストレーションのこの作品で名声を確立。これが作品1に。

彼は、アルゼンチンの民俗音楽を用いて芸術音楽を作りました。スメタナやロシア5人組のような「国民楽派」の20世紀版。あるいは、ハンガリー民謡を採集・分析して自作に活かしたバルトークの、アルゼンチン版ですね。特に「客観的民族主義」の時期と分類される初期(1934〜47)の作品には、アルゼンチンの民俗素材がそのまま使われています。

しかし、「主観的民族主義」の時期(1947〜57)以降は民族主義的な要素は優勢ではなくなります。「新表現主義」の時期(1958〜83)には、12音技法((97) ドレミが平等社会だったら参照)や微分音、複調を用いた作品も。晩年はこのような現代語法が弱まり、調性や民俗素材を用いた初期のスタイルも再び使われました1

3つのオペラ、協奏曲(ピアノ2、チェロ2、ハープなど)、3つの弦楽四重奏曲を含む室内楽曲、声楽作品などを作曲。最後の作品54は、ピアノ・ソナタ第3番(1982)。1942年と44年に試みた2つの交響曲は、いずれも破棄しています。10作以上の映画音楽の多くは、辞職を強要されたフアン・ペロン政権時代(1946〜55)に、収入を得る手段として作られました(コープランドの影響で、ヒナステーラは映画音楽を、意思伝達の重要な媒体と捉えていました)。1983年、ジュネーヴで67歳で没。

来週は都合によりお休みさせていただきます。《エスタンシア》については再来週。

  1. 作曲家本人が自作品を3つに分けたのは1960年代後半。このため、第3期が25年以上と長くなりました。ヒナステーラ研究者の Schwartz-Kates は「最後の統合」(1978〜83)という第4の時期の追加を提唱しています。Schwartz-Kates, Deborah, ‘Ginastera, Alberto,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 9. Macmillan, 2001, p. 876.  第1期の最後と第2期の最初が同じ1947年なのは、この資料によります。「objective nationalism」と「subjective nationalism」をそれぞれ「客観的愛国心」「主観的愛国心」と訳したものがありましたが、この場合の nationalism は民族主義(あるいは国民主義)と訳すべきでしょう。

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