13. 1月 2016 · (267) メモリアル・イヤーの作曲家:パイジェッロ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

今年は、ジョヴァンニ・パイジェッロの没後200年です。パイジェッロは、ハイドンが生まれた8年後の1740年にイタリアのタラント(タランテラの名前の元になった町)で生まれ、ハイドンが亡くなった7年後の1816年にナポリで亡くなりました。80以上のオペラを作っています。こんな人知らない!という方が(特にオケ奏者には)多いでしょうね。でもパイジェッロの《セビリアの理髪師》は、モーツァルトが《フィガロの結婚》を作るきっかけになりました。

えーっ、《セビリアの理髪師》ってロッシーニじゃないの?!! 確かに《セビリア》はロッシーニの代表作。でも、ロッシーニはモーツァルトが亡くなった翌年(1792年)生まれ。彼の《セビリア》はモーツァルトの生前には存在しません。モーツァルトに影響したのは、パイジェッロの《セビリアの理髪師》。

《セビリアの理髪師》は、フランスの劇作家ボーマルシェの3部作のなかの第1作。《フィガロの結婚》はその後日談です。召使いが機転をきかせて貴族をやりこめるお話ですから、ウィーンでは原作の上演は禁止。オペラ化もかなりの冒険でした。でも、1781年にウィーンに移って以来、イタリア・オペラ上演の機会に恵まれなかったモーツァルトは、台本作者のロレンツォ・ダ・ポンテと組んでリスクを取ります。パイジェッロの《理髪師》の成功を、目の当たりにしていたからです。

パイジェッロが、ペトロセッリーニの台本でオペラにした《セビリアの理髪師》は、彼が宮廷楽長をしていたペテルブルクで1782年に初演。翌1783年8月のウィーン初演後、ここでも大人気でした。86年のシーズン終了までに40回以上も上演されています1。ウィーンの人たちが、《セビリア》の続きである《フィガロ》を早く見たいと望んでいることをモーツァルトは知っていましたから、勝算があったのです。もしもパイジェッロがいなかったら、モーツァルトの代表作《フィガロの結婚》は生まれなかった!?!

パイジェッロは晩年ナポレオンに寵愛されましたが、彼の時代が終わるとともに復位した旧王の不興を買い、1816年不遇のうちに没しています2。同年、24歳のロッシーニが《セビリアの理髪師》を作曲。この大成功で、パイジェッロの同名作品は忘れられることになりました。運命のいたずらですね。

ピアノや声楽を学んだ人は、きっと、パイジェッロの曲を1つご存じですよ。ピアノ学習者が、ベートーヴェンのピアノ変奏曲の(ほぼ)最初に学ぶ《〈うつろの心〉による6つの変奏曲》WoO. 70(1795年。WoO.については (239) ベートーヴェンの作品番号参照)の〈うつろの心〉は、パイジェッロが1788年に作ったオペラ《水車小屋の娘》のなかの二重唱です。パリゾッティは最初の部分を独唱曲にして、イタリア古典歌曲集に収めました。パガニーニなども同じ旋律で変奏曲を作っていますから(1820年)、とても人気がある作品だったのですね。

  1. (268) マンドリンの調弦は?に、このオペラ1幕のカヴァティーナの動画を紹介しています(2016/1/20追記)。
  2. 小林緑「パイジェッロ」『音楽大事典4」平凡社、1982年、1802ページ。

Comments closed