14. 10月 2015 · (255) わざと放棄?? シューベルトの未完成作品 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

4年前 (33) シューベルトの未完成交響曲たちの中で、《小ハ長調》交響曲完成後、何曲も交響曲を試みながら「完成できない時期が続きます」と書きました。でも最近、交響曲を始めとするシューベルトの未完成作品の捉え方が変化したことを知りました1。さっそく情報をアップデートしたいと思います。

まず、シューベルトの未完成作品群を概観しましょう。交響曲は計5曲。初めの2楽章が完成し第3楽章のピアノ・スケッチも半分以上書いているいわゆる《未完成》ロ短調のように、他もかなり書き進められています。D 615(1818)は2楽章分、D 708a(1820以降)は全楽章をスケッチしていたり、D 729(1821)のように、スケッチを終えてスコアにとりかかっていたり(D番号は、(34) ドイチュ番号についてを参照のこと)。ピアノ・ソナタも同様。たとえばD 613(1818)では、第1・3楽章展開部のほぼ終わりまで書かれていますし、D 625(同)でも第1楽章は展開部途中まで、第3・4楽章は最後まで作曲されています(いずれも第2楽章は別資料)。作曲のプロセスの中で最も大変な段階を過ぎ、このまま続ければ最後までたどり着けそうな状況で放棄されています。

従来、滑り出しは順調ながら途中で行き詰まって完成できなかったと、否定的に捉えられていたこのような未完成作品。しかし、意図的に完成「しなかった」と、積極的・肯定的に捉えるようになったのです2。つまり、新しい曲で野心的な実験に取り組み、満足できる結果が出たら、曲が最後まで完成していなくても、その時点でやめて次の実験に移ったという考え方です。

交響曲のスケッチがほぼでき上がった段階で、オーケストレーションの手間を惜しんで次に取りかかったなんて、考えたこともありませんでした。でも、シューベルトって、音楽が完成形で流れ出てくるタイプの作曲家。友人のシュパウンは、《魔王》作曲の状況を「本を手に持って《魔王》を大きな声で読みながら……行ったり来たりしていたが、突然椅子に座ったかと思うと、あっという間に書ける限りの速さで、すばらしいバラードが楽譜に書かれていた」と回想しています3。主旋律だけではなくピアノ伴奏も同時。

交響曲を作るとき、早い段階からシューベルトの頭の中で、オーケストラが鳴り響いていたのかもしれません(彼のピアノ・スケッチの中には、ときどき楽器名が記されています)。曲を作ることとそれを楽譜にすることは別の仕事。「作曲はもうすっかり出来ているのですが、まだ書き上げていないのです」と父への手紙に書いたモーツァルトのように、シューベルトも書くこと(特にスコア)は機械的で時間がかかる作業と考え、それを省略した可能性、確かに考えられますね4

同じウィーンで活動するベートーヴェンが、シューベルトにとって大きな壁だったのは間違いありません。でも、数々の未完成作品を、彼を乗り越えるための悪戦苦闘の負の遺産と捉えるのではなく、自分のスタイルを模索するたくさんの実験結果とプラスに考える。これだけで、悲壮感漂う従来のシューベルト像が、実験好きで前向きな姿に変わるような気がします。

  1. 堀朋平『シューベルト:交響曲第7番ロ短調D 759(未完成)ミニチュア・スコア解説』音楽之友社、2015、vページ。
  2. Hinrichsen, Hans-Joachim, “»Unvollendet« oder »abgebrochen«?: Werkstatus und Manuskripttypologie bei Franz Schubert.” Schubert: Perspektiven, 2005. など。情報をくださった堀さんにお礼申し上げます。
  3. 『シューベルトーー友人たちの回想』ドイチュ編、石井不二雄訳、白水社、1978、159ページ。
  4. マーシャル『モーツァルトは語る』高橋英郎、内田文子訳、春秋社、1994、44ページ。

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