07. 10月 2015 · (254) どこへ行くのか? 組曲《カレリア》より《行進曲風に》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

聖フィル第13回定期演奏会を聴きに来てくださった方々、どうもありがとうございました。生誕150年のシベリウス、ほとんど聴く(弾く)機会の無い交響曲第6番はいかがでしたでしょうか? コラム恒例アンコール・シリーズ、今回はそのシベリウスの 組曲《カレリア》第3曲 《行進曲風に》 について。ピクニックに出かけるようなうきうきした曲ですが、いったいどこに行くための行進曲なのでしょうか?

図1:カレリア地方

図1:カレリア地方

フィンランド南東部、図1の緑色の部分がカレリア地方(クリックで拡大します)。南はバルト海に続くフィンランド湾、南東に大きなラドガ湖。すぐ近くには、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルク(図1●印。フィンランドの首都ヘルシンキは、その西側にある一回り小さい●印です)。シベリウスは1892年、新婚旅行でこの地を訪れました。

翌1893年、カレリア地方の主都ヴィポリ(図1★印。英語ではヴィボルグ、フィンランド語ではヴィープリ、ヴィポリはスウェーデン語)の学生協会から、カレリア地方の歴史を描く野外劇の、付随音楽を委嘱されます。報酬は500マルク1。シベリウスの家賃半年分でした。劇の上演(11月13日)の際、シベリウスがオーケストラを指揮。序曲の後、13世紀から19世紀までの7つのタブロー(場面)が続きます。
    1. カレリア人たちの故郷、戦いのメッセージ。1293年
    2. ヴィポリ城の創設。1293年
    3. リトアニア公国のナリマンタス公爵がカキサルミ地方で税を取り立てる。1333年(カキサルミはラドガ湖のほとりの町。スウェーデン語ではケックスホルム、現在のプリオゼルスク。図1◎印)
    4. ヴィポリ城のカール・クヌートソン。バラード。1446年(カール・クヌートソンは後のスウェーデン王カール8世)
    5. カキサルミ前のポントゥス・ドゥ・ラ・ガルディ。1580年
    6. ヴィプリの包囲。1770年
    7. カレリアがフィンランド大公国に再統合される。1811年

初演約1週間後の自作品演奏会で、シベリウスは 《カレリア》 から8曲をオーケストラ用組曲にして、指揮。付随音楽と同じく、壮麗に編曲されたフィンランド国歌で締めくくられました。11月23日の演奏会では、序曲と3曲を演奏。この3曲が後に組曲《カレリア》作品11になります。第1曲 《間奏曲》 は、第3タブロ-の音楽。第4タブローが第2曲の 《バラード》 に。劇中カールは、吟遊詩人が歌うメロディーを聴くのですが、組曲では代わりにコーラングレが奏でます。第3曲 《行進曲風に》 は、第5タブローの音楽がほぼそのまま使われています。

最初の疑問(どこへ行くのか)に戻って。5曲目の説明に出て来るポントゥス・ドゥ・ラ・ガルディ(と発音するのかどうかはわかりませんが。Pontus de la Gardie)を調べてみました。フランス貴族(c.1520 – 85)。初めデンマークの傭兵になるが、スウェーデン軍隊に捕らえられた後はスウェーデンに忠誠を誓い、ロシアと戦って1580年にはカレリアを獲得……2。えええっ、つまりこれは戦争の行進曲?!?   ダッダダッダダッダダッダと続く付点リズムや、後半の盛り上がりが勇ましいのは確かですが、戦いに行くってこんなにうきうきするものだったの?!?3

中世のころから領有権が争われたカレリア地方。シベリウスがこの曲を作った当時はフィンランド大公国に属していました(国境線は、図1の点線)が、第2次世界大戦後、ヴィポリを含むカレリア地方のほとんどがソ連領に。現在の国境は図1の実線です。

  1. 以下、タブローの記述などもSibelius http://www.sibelius.fi を参考にしました。
  2. 無記名, ‘Pontus de la Gardie,’ Wikipedia 英語版。
  3. CD解説に “the Alla marcia followed a call to battle.”とあるので、凱旋行進曲ではないでしょう。Layton, Robert, ‘The Aristocart of Symphonists,’ Notes for Sibelius: The Symphonies, etc., Ashkenazy & Philharmonia Orchestra, Decca, p.12.

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