05. 8月 2015 · (248) シベリウスの沈黙 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

田部井剛先生って、とっさに答えられない質問ばかりするんです((195) ウクライナと音楽(199) 3拍子で始まる協奏曲(201) 練習番号Jが無い理由(207) 6/8拍子で始まる交響曲(226) 指揮棒を最初に使った指揮者(227) 指揮棒とリュリなど参照)。先日の聖フィル練習で、またもや、難問が飛んで来ました。シベリウスが最後の30年くらい、何も作曲しなかったのはなぜか?! 4年前 (43) シベリウスと《フィンランディア》を書いて以来のご無沙汰(1865年生まれですから今年生誕150年。でも、西洋音楽史の講義ってアニヴァーサリー・イヤーとはあまり関係無いのです)。彼が長生きしたことくらいしか覚えていなかった私。

ジャン・シベリウスは、10月の定演で取り上げる交響曲第6番op. 104を1923年、交響曲第7番op. 105を翌1924年に完成。1925年に劇付随音楽《テンペスト》op. 109、1926年に交響詩《タピオラ》op. 112を発表した後、1957年に91歳で亡くなるまで、大きな作品を発表していません。

1927〜32年は、鬱状態と自信の衰えによる危機的な時期1。指揮活動を辞退し、人前に出るのを避けるように。ただ、作曲を完全にやめたわけではありません。フリーメイソンの儀式用音楽(男声合唱とハーモニウムまたはオルガン、op. 113、1927)、ピアノ小品集《5つのスケッチ》(op. 114、1929)、ヴァイオリンとピアノの小品集(op. 115は4曲、op. 116は3曲。いずれも1929年)を完成しています。

人々が待ち望んでいた新作交響曲。シベリウスは、1931年に第8番についてオリン・ダウンズに、「もうすぐ出版する準備ができる、他にもいくつかの新曲が頭の中にある」と書きました2。1933年に、多楽章構成の交響曲がほぼ完成。シベリウスは夏の終わりに、第1楽章と思われる1束23ページの楽譜を写譜屋に送り(写譜屋の請求書が現存)、このあとにもう7束続くと知らせました。でも、何も送られず。後にシベリウスの妻アイノは、1940年代半ば(ひょっとすると1945年)に夫が、洗濯籠に入った自筆譜を自宅の居間のストーヴの火に投げ入れていたと伝えます。第8番交響曲の楽譜ひとそろいも、このとき燃やされた?!

シベリウスが作品を発表しなくなった理由は、いくつか推測できそうです。第1に、必要無かったこと。彼は既に国際的な評価(特に北欧とイギリス、アメリカで)も終身年金も得ていました。第2に、交響曲第8番のいきさつにも現われているように、自分に厳しく批判的になり、自作になかなか満足できなかったこと。そして第3に、周りでは新しい音楽が作られていたこと。1930年代以降、シベリウスは多くの時間を、自宅のラジオの前で過ごしたそうです3。十二音技法などを用いたアヴァンギャルドな音楽((97) ドレミが平等社会だったら参照)、自分の世界とは異質な音楽を、彼は聞き知っていたに違いありません。

亡くなるまで約30年間、新作をほとんど発表しなかったシベリウス。彼の自宅の地名を付けて「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼ばれます。残念ではありますが、賢明な選択だったような気もするのです。

  1. Hepokoski, James, ‘Sibelius,’ The Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 23, Macmillan, 2001, p. 338.
  2. 同上。
  3. 神部智『シベリウス:交響詩《フィンランディア》ミニチュア・スコア解説』、音楽之友社、2010、p. xiv.

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