03. 12月 2014 · (214) 「イタリア」ではなかった!! メンデルスゾーンの「イタリア」 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

メンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調「イタリア」はいかにも南国的だし、恵まれた環境で早くから才能を発揮したメンデルスゾーンのイメージにも重なります。でもご本人は、演奏・出版には改訂が必要と考えていました((213) こんなはずではなかった?!参照)。もしも改訂が実現していれば、特に第1楽章は大幅に変更されるはずだったなんて、ちょっと(かなり?!)ショック! もうひとつ驚いたのは、作曲者が「イタリア」と名付けたのではなかったこと!

メンデルスゾーンが、1830年11月1日から翌年4月10日まで滞在したローマで、この曲を着想・作曲したことは皆さんもご存じでしょう。当時、彼は家族への手紙の中で、この曲を「イタリア交響曲」と呼んでいました1。でもその後、身内に対してもこの呼び名を使わなくなります。1833年5月3日ロンドンでの初演では「交響曲イ長調」、1851年の出版では「交響曲第4番イ長調作品90」だけです。

1829年のスコットランド旅行中に着想を得た交響曲も、同様でした。同年7月30日付けの家族への手紙に「私のスコットランド交響曲の始まりを見つけました」2と書き、イタリア旅行中もそう呼んでいたのですが……。やがてこの名を使わなくなり、1842年3月3日の初演では「交響曲イ短調」、翌年の初版では「交響曲第3番イ短調作品56」のみ。こちらは上記第4番とは異なり生前出版ですから、改訂を終え、作曲者本人が納得した形での出版。彼が自分で、「スコットランド」無しと決めたのです。

作曲者本人は公の場では決して用いず、演奏・出版の際も伏せていたにもかかわらず、「イタリア」「スコットランド」と呼ばれるようになった理由は? メンデルスゾーンの没後、彼の友人たちが旅行と作品を結びつけて語り出しました。たとえば、ベネディクトによるメンデルスゾーンの伝記(1850年)。「イタリア」交響曲はイタリア旅行中の体験から生まれたもので、「イタリアの印象の完璧な縮図」3。さらに、1861年にメンデルスゾーンの『旅行書簡集』が出版され、彼が旅行中、イ短調交響曲を「スコットランド」、イ長調交響曲を「イタリア」と呼んでいたことが明らかに。1875年の旧全集には含まれていなかったこれらのニックネームが、1882年の主題目録に明記されることになります。

出版などの関わりがあるから一時期「ロンドン」と呼ばれたドヴォルジャークの8番((208) 《イギリスと呼んでいたのは日本だけ??参照)とは異なり、メンデルスゾーンのイ長調交響曲は、イタリア旅行中の体験が作曲や構想の明確な出発点。また、この呼び名のおかげで、親しみやすく理解しやすい作品と捉えられています。「イタリア」のニックネームは、この交響曲に無くてはならないもの。ただ、こう呼ぶのは作曲者の意図に反することを、覚えておいてくださいね。メンデルスゾーンは、作曲する際の自分のアイディアを言葉で表現することはできないし、それが可能であったとしても他人に伝えたくない、なぜなら、誤解を引き起こすことはあっても、理解の助けにはならないからと考えていたそうです4

  1. 1831年2月22日付けの手紙。星野宏美『メンデルスゾーンのスコットランド交響曲』音楽之友社、2003、112。
  2. 前掲書、74。
  3. 前掲書、452-53。
  4. 彼の無言歌に関するコメント。前掲書、457。

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