26. 11月 2014 · (213) こんなはずではなかった?! メンデルスゾーンの「イタリア」 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

さんさんと降り注ぐ日の光や、開放的で陽気な南国の雰囲気。メンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調のオープニングは、いかにも「イタリア的」。彼の代表作ですね。ロンドンのフィルハーモニー協会の委嘱作として1833年5月に初演。作曲者の没後(1851年)、この初演稿が出版されて現在も使われています。でもこの通称「イタリア」交響曲、作曲者の意図は少々(かなり?!)異なっていたようです。

メンデルスゾーン自身の指揮で行われた初演は大成功でしたが、4ヶ月後には彼はこの「イタリア」交響曲に手を加えると言及しています1。翌年、ロンドンから再演の知らせが届きました。彼は訪ねて来た友人に見せるため、記憶を頼りに(初演に使った自筆スコアは、フィルハーモニー協会に置いて来ました)楽譜を書き起こし始めます。1834年6月26日付けの手紙には:

私は私のイ長調交響曲からいくらかを彼に示すことができたらと思い、今それが手元にないので、アンダンテ[第2楽章]を再び書き起こし始めた。すると、すぐに多くの誤植が生じ、私は面白くなった。そこで、メヌエット[第3楽章]とフィナーレ[第4楽章]をも書き起こした。その際、多くの箇所に改良がどうしても必要だった。(中略)

第1楽章だけは今回、書き起こさなかった。というのも、いったん手を付け始めたら、第4小節以降主題全体を変更することとなり、それに伴って、第1楽章全体を大きく変更せざるを得なくなると恐れるからだ。それには今、時間がない。僕には、第4小節[第5小節の勘違い]のドミナントがどうも不快だ。これはゼプティーヌ(a、g)でなければならないと思うのだ2

この作業の中で、彼は第2〜4楽章の多くの箇所を変更(=「誤植」)および改良したわけですが、第1楽章には手をつけませんでした。初演稿では、主和音(ラド♯ミ)4小節の後、属7の和音(ミソ♯シレ)が続きます。手紙に書かれた「ラとソが入った7の和音」なら、ラド♯ミソ。この和音では、ミーレシという現在のメロディーが合わないのみならず、次にニ長調へ向かうことになりますから、和声が変わり、全く異なる旋律が必要になるのです。

翌年2月16日付けの、第1楽章の改訂に手こずっているという手紙にも、「全く異なるものになる」ことは確かで、おそらく「全く新しいもの」になると書いています3。しかし、この第1楽章の改訂作業は途中で放棄され、何の資料も残っていません。メンデルスゾーンの生前、ロンドン以外でこの曲が演奏されることはありませんでしたし、彼は楽譜の出版も許可しませんでした4

イタリアのイメージ、メンデルスゾーンのイメージにぴったりはまるイ長調交響曲ですが、もしも第1楽章の改訂が完了していたら、大きく異なる音楽になっていたはず。この曲を楽しむときは、作曲家本人が初演稿に満足していなかったことを、(ほんのちょっとだけでも)思い出してください。

  1. 星野宏美『メンデルスゾーンのスコットランド交響曲』音楽之友社、2003、136。
  2. デュッセルドルフのメンデルスゾーンから、ロンドンのモシュレス夫妻に宛てた手紙より。前掲書、173。
  3. 前掲書、137-38。
  4. Mercer-Taylor, Peter, The Life of Mendelssohn. Cambridge University Press, 2000, 116-7.