27. 8月 2014 · (200) コラム番外編:ボストンにて はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム

おかげさまで、200回目の聖フィル♥コラム! いつも読んでくださる皆さま、今、初めて読んでくださっている皆さま、どうもありがとうございます。

週1回更新しながら3年続けることを自分に課して書き始めたのが、2010年11月。昨年11月にその目標をクリア。しかも、念願叶って本にすることができました。予定では、「3年半のご愛読、ありがとうございました。本が出版されましたのでそちらをお読みください」と告知して、聖フィル♥コラム終了! あるいは、終わりにしないまでも不定期掲載に変更して負担軽減、時間があるときだけ書こうと、心に誓っていたのですが。告知のタイミングが合わず、いまだに週1回の更新を続けています(誰か、これ以上書くのは止めなさい!と言ってください。今から変更するのでも遅くないし)。今回は200回記念の番外編。研究展開のために再訪したボストンから、(音楽とは関係無いのですが)留学時代の話を書きたいと思います。

私が学んだブランダイス大学は、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の出資で創立された私立大学。ボストン郊外にあります。学部生はユダヤ人が大半。ユダヤ教の新年や断食日などは、大学の祝日でした。最初にお世話になった大家さんもポーランド系のユダヤ人でしたので、私はユダヤ教について、ある程度の知識を持っています。たとえば、彼らは豚肉や貝類を食べません。お菓子を焼くための器を借りたとき、肉には使うなと言われました。ユダヤ教では、肉とミルクを一緒にしてはいけないのです。ロシアのユダヤ人にとって音楽が厳しい境遇を抜け出す道であったと書きながら((195) ウクライナと音楽参照)、ホロコーストから生き延びることができたのは一族の中で母親と自分だけだったという大家さんの話を思い出しました。

ブランダイスを留学先に選んだのは、私の専門である16世紀イタリア音楽史の権威が教えていたから。大学院で学び始めて2、3ヶ月過ぎる頃、自分に対する周囲の扱いが他と異なることに気づきました。主な理由は、私がセミナーで黙っていたからだったのです。10数人の音楽学の大学院生たちが我先に発言しようとする中、下手な英語を話すが恐かったし、彼らの発言はどうでも良いことも多かった。私は日本で修士課程を終えていたので、セミナーの内容はだいたい理解できました。でもアメリカでは、何も言わないのはそこに存在しないのと同じ。質問でも聞き返しでも、自分をアピールしなければならないのでした。そうわかった後も、なかなかディスカッションに加わることができなくて。

学位授与式以来10年ぶりに戻って驚いたのは、大学図書館内にスターバックスが入っていたこと。私が学んでいた頃は、3時間セミナーの途中のコーヒー・ブレイクでは、図書館の中の音楽学セミナー室からみんなでぞろぞろと隣のカフェテリアに移動して一息ついたものですが。今は建物の外に出なくても、あるいは調べものの途中でも、おいしいコーヒーが飲める!! 時代は変わった……。

規模の小さい大学で、日本からの音楽学への留学生は私が初めて。アメリカ人学生でも苦労する大量の宿題、毎週のようにまわってくる発表、自己主張が激しいクラスメートたち。苦労もしたし悔しい思いもしましたが、様々な人に支えられてなんとかサバイバルできたのは、本当に得難い経験でした。最近日本では留学希望者が減っているそうですが、残念なことです。ボストンで暮らしたおかげで、私は日本(の良い面や良くない面)を、より客観的に捉えられるようになったと思います。

それにしても、どうして日本にはクラシック音楽専門のFM局が無いのでしょう。ボストンのような、24時間クラシック音楽だけを流すラジオ局があればいいのになあ。

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