06. 8月 2014 · (197) 6,000ルーブルの価値:チャイコフスキーの年金 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

チャイコフスキーがナデジダ・フォン・メック(1831〜94)から14年間に渡って受け取っていた年金、6,000ルーブル。モスクワ音楽院の教師職を辞め、「多くの時間を外国旅行と別荘地で過ごしながら自由に作曲活動を行う」のに十分な額でした1。いったいどれくらいか、知りたくなりますよね。

でも、この6,000ルーブルを現在の貨幣価値に置き換えるのは難しい! 1880年代のロシアと現代の日本は全てがあまりにもかけ離れていて、単純には比較できません。チャイコフスキーが暮らしていた時代と地域における生活必需品の値段と較べられれば、少しは具体的なイメージがわくかな……??

以前、ハイドンの給料を当時の食品で置き換えてみたことがありましたね((105) ハイドンの給料 (1) 参照)。1772年の彼の月給は、およそ豚や雄牛4頭分、乳牛6頭分、米160kg分、ビール1435リットル分、卵11480個分。今の日本では、米160kgが80,000円、缶ビール1435リットルは約190,000円、卵1148パックは229,600円。ハイドンの頃と現代日本ではものの価値が大きく異なるため、かえって混乱してしまいます。

同じ貨幣価値で比較するには、どうすれば良いのか? 考えついたのが、チャイコフスキーのそれ以前の年収との比較2。モスクワ音楽院の年棒は:

  • 1867年(音楽院に勤め始めた年) 1,200ルーブル
  • 1868年             1,441ルーブル
  • 1871年             1,673ルーブル95コペイカ(1ルーブル=100コペイカ)
  • 1876年(最後の年)       2,475ルーブル

これ以外に、作品が出版されれば40、50ルーブルの印税も入りましたし、音楽批評、個人教授、大きな作品による臨時収入もありました。それでも「彼の年収は二千から、せいぜい三千を越えることはなかった」3。つまり、一生懸命に働いて得ていた金額の2倍以上を、年金として受け取ることができるようになったのです! 6,000ルーブルがどれくらいか換算できなくても、「ありがたみ」は十分理解できますね。

最後に、「現在の感覚でいえば音楽院の俸給はどの程度になるのであろうか。1ルーブルを一万円とは数えられないまでも、三千円から五千円には数えることができるように思われる」という、森田稔の記述をあげておきます4。余計な回り道しないで、初めからこれを教えろって?! 6000掛ければ、いくらかわかるって?! 確かに、チャイコフスキー専門家の書物に印刷された数字ですが、時代も地域も大きく異なる2地点での比較・換算であることを忘れないでくださいね5

  1. 森田稔「チャイコフスキー」『音楽大事典3』平凡社、1982、1472ページ。
  2. 森田稔『新チャイコフスキー考:没後100年によせて』NHK出版、1993、121ページ。
  3. 前掲書、122ページ。
  4. 同上。
  5. ロシア文学者の亀山郁夫は、自身が訳したドストエフスキー:『カラマーゾフの兄弟2』の「読者ノート」で、1ルーブルは五百〜千円が妥当と書いています(光文社古典新訳文庫、2007、489ページ)。1860年代の大学教員の年収が約3,000ルーブルであったことがその根拠。森田の説と、かなりの差があります。ただ、亀山説では現在の大学教員の年収が150〜300万円になってしまいますね。

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