14. 5月 2014 · (185) グリンカと同世代の作曲家は? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

次回10月の演奏会の曲目、オペラ 《ルスランとリュドミラ》の作曲者、グリンカ。ヨーロッパで評価された最初のロシア人作曲家で、ロシア音楽の父、ロシア国民楽派の創始者などと呼ばれます。裕福な貴族の第2子(成長した子の中では最年長)として生まれました。子供の頃の音楽体験は、農奴が歌う民謡や近隣に住むおじが所有(!!)していた「農奴のオーケストラ」など。この「農奴のオーケストラ」って、たとえばハイドンが務めていたエステルハージ家の(従僕の)オーケストラと、同じ感じでしょうか。

ところでこのグリンカがいつ頃の人か、ご存知ですか? 次の3人の中で、同世代は誰でしょう?

    1. メンデルスゾーン(1809〜47)
    2. ブラームス(1833〜97)
    3. マーラー(1860〜1911)

《ルスラン》序曲で、ドビュッシーに先駆けて全音音階を使ったりしている((123) 《白鳥の湖》の物語を音楽で説明するには?参照)から、かなり後の人だろうと想像していたのですが、グリンカの同世代はなんとメンデルスゾーン。彼よりも5歳も年上の、1804年生まれでした。シューベルトよりも7歳若いだけ。ヨハン・シュトラウス1世と同い年。グリンカって、そんなに昔の人だったの!?

幼い頃はおばあさんに溺愛され、暑いほどの室温を保った部屋で育てられました1。ロシアでは、さぞかし贅沢なことだったはずですが、これが病弱だった原因とも考えられています。1830年から3年間イタリアに滞在したのも、病気治療として医学的に勧められたため。父親が経済的に援助しました。3歳年上のベッリーニや7歳年上のドニゼッティと知り合い、イタリア・オペラのスタイルでピアノ曲などを作曲。若い「ロシアのマエストロ」の作品は、リコルディによって「こぎれいに」出版されました2。イタリアを発った後、ドイツでも作曲を学び、4年後に帰国。

2作目のオペラ《ルスランとリュドミラ》(1842)が受け入れられなかったことに落胆して(これについては改めて書きます)、1844年に再びヨーロッパへ。パリやスペイン、ワルシャワに住み、作曲を続けました(お金持ちはいいですね~)。1年近く滞在したパリでは、ベルリオーズと知り合います。ベルリオーズはグリンカの作品を演奏会で紹介し、1845年4月には、当代の傑出した作曲家の1人と賞賛しました。そのベルリオーズは、1803年生まれ。まさにグリンカと同世代でした。

  1. Campbell, James Stuart, “Glinka, Mikhail Ivanovich,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 10, Macmillan, 2001, p. 3.
  2. 森田稔「グリンカ」『音楽大事典2』平凡社、1982、809ページ。

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