02. 4月 2014 · (179)《オルガン付き》が作られた時代 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

作曲者の紹介((178) サン=サーンスってどんな人? )に続いて、今回は交響曲第3番《オルガン付き》が作られた時代とサン=サーンスの功績について。まず初めに、彼が完成した交響曲のデータです。

    1. イ長調 1850年作曲
    2. 第1番変ホ長調作品2 1853年作曲、同年初演
    3. ヘ長調(首都ローマ) 1855-56年作曲、1857年初演
    4. 第2番イ短調作品55 1859年作曲、同年初演
    5. 第3番ハ短調作品78 1885-86年作曲、1886年ロンドンで初演

1835年生まれですから、《オルガン付き》以外の4曲は10代、20代の作品ですね。その後30年近くの空白期間をおいて、1886年にぽこっと(??)第3番《オルガン付き》が出現。その前の70年代には交響詩に取り組み、《死の舞踏》を含む4曲を書き上げています。オーケストレーションの工夫や主題変容の試みが、《オルガン付き》のたとえば循環主題の変形などに活かされることになります。

第3番がロンドンで初演された1886年には、他にもダンディの《フランスの山人の歌による交響曲》やラロの交響曲ト短調、1888年にはベルギー出身のフランクの交響曲ニ短調、1890年にはショーソンの交響曲変ロ長調が作曲されています。フランス(語圏)の作曲家によって交響曲がこれほど続けざまに作られたのは、もちろん偶然ではありません。1871年に国民音楽協会が設立されたからです。

19世紀フランスでは、オペラやバレエの作曲は盛んでしたが、器楽曲はドイツ語圏の作品を輸入(!?)し続けていました。パリ音楽院演奏協会のコンサートで、ベートーヴェンの交響曲が次々と紹介されていたことを思い出してください((175)《エロイカ》で始まるコンサート参照)。ところが1871年、普仏戦争に敗北。ドイツ音楽をありがたがっている場合ではないという対抗意識が高まります。フランスにおける器楽の発展のために、サン=サーンスらが中心となって設立したのが国民音楽協会でした。

アルス・ガリカ ars gallica(フランス芸術)をモットーに、交響曲や室内楽の作曲を奨励。協会主催の演奏会で多くの曲を初演し、新しいフランス音楽の普及に務めました。1894年には、若干22歳のドビュッシー作曲による《牧神の午後への前奏曲》を初演。好評を博しています。国民音楽協会に刺激されたパリの他の演奏団体も、コンサートでフランスの作曲家の作品を取り上げるように。こうして、世紀末から20世紀初頭にかけてフランス管弦楽曲の黄金期を迎えるのです。

西洋音楽史においてサン=サーンスは、《動物の謝肉祭》や《オルガン付き》交響曲の作曲者としてよりもむしろ、国民音楽協会の設立者として重要。それでいて、1887年パリ音楽院演奏協会で《オルガン付き》のフランス初演が大成功したとき、「フランスのベートーヴェンと讃えられた」のですから、なんだかおかしいですね。

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