29. 1月 2014 · (170) マーラーの交響曲と実用音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

アマ・オケ奏者のあこがれ、オケ・ファンが大好きなマーラーの交響曲(前回と同じ書き出し)。「ようやくマーラー(のコラム)が出た!」とか、「マーラーの交響曲を順番に全部書いて!」なんて言われました。交響曲1つだけでもコラムがいくつも書けそうですが、それは聖フィルがマーラーを取り上げるまでお待ちいただくことにして、今回はマーラーの交響曲の特徴(変なところ)をもう1つ。

トランペット奏者なら誰でも吹いてみたい(から思わず吹いてみちゃう)、交響曲第5番の冒頭ファンファーレ(譜例2)。マーラーはスコアの脚注に、「この主題のアウフタクトの3連符はつねにいくらか急いで(クワジ・アッチェレランド)軍隊のファンファーレのように演奏されなければならない」と記入。3連符って、意識的に長めに取らないと正確なリズムに聞こえません。つい速くなってしまう軍隊のラッパ手の癖をまねしろという指示。この曲、交響曲なのにいきなり軍楽隊の音楽で始まるのです。

しかも、少なくとも一部は実際に軍隊で使われていました。『オーストリアの軍楽』という研究書の「オーストリア=ハンガリー帝国歩兵隊のための教練規定抜粋。ホルン/トランペットの信号と太鼓打ち」の中に載っているのだそうです1。たしかにこの「注意!」の信号(譜例1)、ソロ7小節目のアウフタクトと同じ音型ですね。このファンファーレに続く葬送行進曲の、大太鼓やタムタムを伴う低弦の規則的な4度下降の動きは、同資料によると騎兵隊、砲兵隊、輜重(しちょう)隊用「常足(なみあし)Schritt」の信号。

マーラー1マーラーはおそらくこれらを知っていて、意図的に使ったと思われます。1866〜1918年はオーストリア軍楽の最盛期。彼の故郷イーグラウにも連隊が配置されていました。アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジェはマーラーの伝記の中で、「少しずつ、幼いマーラーは、父の家のすぐそばにある兵営のファンファーレと軍楽を発見する……3歳になったとき小さなアコーディオンを贈られ、この楽器で彼はすぐに歌と行進曲、また兵営のファンファーレの厖大なレパートリーを完璧に弾くこととなる」と伝えています2

軍楽だけではありません。同じく「常足」で始まる交響曲第1番の第3楽章。葬送行進曲の途中で、ブンチャッ、ブンチャッというお葬式には似つかわしくない音楽が始まります。マーラーによるとこれは、村のバンドの粗野で凡俗な馬鹿騒ぎ。「ボヘミアの田舎では慣習的に葬式に吹奏楽が使われ、終わった後に楽しげなポルカや行進曲を響かせながら近くの飲み屋に向かって行くのが常だった」そうです3

このようにマーラーの交響曲には、彼が実際に耳にしていたであろう軍隊のラッパ信号や通俗音楽、鳥の声(たとえば第1番の第1楽章序奏部のかっこう。実はあの4度下降型、交響曲全体の基本動機ですが)などの自然音が使われています。これらは普通、交響曲には用いられない音。しかも、ブンチャッ、ブンチャッのように、唐突に出て来ることも多いのです。これらは何を意味しているのでしょう。

ベートーヴェン以降、クラシック音楽を代表するジャンルとなった交響曲。その交響曲に、正反対な性格を持つ歌曲を取り入れ、あるいは融合させてしまったマーラー((169) 交響曲と歌曲参照)。さらに彼は、交響曲というシリアスな存在をまるで茶化すかのように、自然音や実用音(楽)を取り込みました。伝統的な枠組みの中にかろうじて留まりつつ、従来の在り方からなるべく離れようとしたかのように見えます。彼のこの姿勢は伝統への挑戦であり、彼が生きた世紀末における交響曲の存在意義への問いかけだったと言えるでしょう。

  1. 森泰彦「ファンファーレの語るもの——マーラーと軍楽」『ブルックナー/マーラー事典』東京書籍、1993、469-76。『オーストリアの軍楽』は、Emil Rameis, Die österreichische Militärmusik, Tutzing: Hans Schneider, 1978. 森泰彦は「音型が似ているばかりでなく、あの楽章ではまさに独奏トランペットがこのような号令をかけているように聞こえないだろうか?」と書いています。
  2. 同上の引用(Henri-Louis de L Grange, Gustav Mahler, Chronique d’une vie, tome I, Paris: Fayard, 1979)より。
  3. 渡辺裕「交響曲第1番」前掲書、305。

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