13. 11月 2013 · (159) バッハの1週間(ライプツィヒ、1723年) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

「 聖フィル♥コラム、始めます」をアップしたのが2010年11月4日。最初の「《運命》と呼ぶのは日本だけ !?」は、同9日付けでした。石の上にも3年。おかげさまで聖フィル♥コラム、当初の目標だった3周年を迎えることができました。読んでくださるみなさま、どうもありがとうございます!

毎週ネタを捜すのが大変でしょうと言われます。でも、オケの練習、仕事、音楽会など日常の中に、あれれ、どうして?とか、あらら、書いておかなければ!と思うことがいっぱい。ネタには不自由しません。

一方、ああいうのがさらっと書けていいですねと言われると、言葉に詰まります。さらさらっと書けたらいいのに。テーマを決めて資料を捜すのに2日、それを読んで構成を考えるのに2日、下書きと推敲に3日。合間を縫って、仕事や家事や練習をしている感じ。アップしたらすぐまた次。1週間はあっという間。

でも、290年前のバッハの1週間は、こんなものではなかったはず。1723年、トーマス教会カントル兼市音楽監督として、ライプツィヒに移り住んだ1年目のことです。日曜とそれ以外の主要祝祭日の礼拝で教会カンタータを演奏することが、彼の仕事の1つでした。

バロック時代のイタリアの世俗歌曲、カンタータ(イタリア語で「声楽曲」の意味)。ルター派プロテスタントの礼拝に取り入れられ、ドイツ語の歌詞を持つ教会カンタータに。器楽伴奏付きで、合唱、独唱によるレチタティーヴォ(伴奏は通奏低音のみ。(102) 話すように歌うレチタティーヴォ参照)とアリア、コラール(ルター派の賛美歌)などで構成されます(2重唱や器楽曲が入る場合も)。牧師の説教の前に演奏され(楽章数が多ければ、説教後に後半を演奏)、その日に朗読される聖書の内容を音楽で表わします。この聖書朗読の部分は毎回異なりますから、毎回異なるカンタータが必要です。

バッハの教会カンタータのストックは、あまり多くありませんでした(前任地ケーテンはカルヴァン派プロテスタント。カンタータを使いません)。したがって、1723年5月22日にライプツィヒに到着した直後から、カンタータ作りが始まります。5月30日にライプツィヒ第1作を初演してから、翌1724年5月30日までの1年間に作ったカンタータは、46曲! これだけでもすごいのに、作って終わりではないのです。

バッハの1週間を想像してみましょう。礼拝でカンタータを演奏した日曜日の夜は、さすがのバッハも一息入れたとして(そう思いたいですよね)。翌日から、次の日曜日のカンタータの準備。作曲に月・火・水と3日間くらい? 仕上がった曲から、順次パート譜作り。この作業も火・水・木と3日間くらいかかったのでは? バッハが書いたスコアから、各パート1部ずつ、原則として1人のコピストが筆写したそうです1。主に、バッハが教えていたトーマス教会付属学校の生徒たちが担当しました。ヴァイオリンのように、同じ楽譜が2枚以上必要なパートもあります。正しく筆写されたかどうかをチェックする時間も必要。

演奏譜をそろえて練習開始。週の残りを使って伴奏アンサンブルの練習、合唱の練習、ソリストの練習(ソプラノやアルトの独唱は、トーマス学校の声変わり前の生徒たち。指導に時間がかかったことでしょう)、そして全体練習。

この間バッハには、トーマス学校で音楽などを教える義務もありましたし、時には結婚式や葬儀の音楽やその演奏を頼まれることもありました。しかも、家には5人の子どもたち。長女(15歳)や長男(13歳、ヴィルヘルム・フリーデマン)は頼りになったでしょうけれど、2人目の妻アンナ・マグダレーナとの最初の子クリスティーナ・ゾフィア・ヘンリエッタは、まだ1歳にもなっていません2。お父さんとしても大忙しだったはず。

てんやわんや(想像ですが)で練習し、日曜日の礼拝で本番を終えると、また次週のカンタータの準備。作曲、写譜、練習の1週間が始まります。一息つけるはずの待降節と四旬節(オペラ上演が禁じられたように、カンタータ演奏もお休み。(56) アドヴェントと音楽参照)にも、前者では3日間祝われるクリスマスを含む降誕節のカンタータの準備、後者では聖金曜日に演奏する、カンタータよりもはるかに規模が大きい受難曲の準備がありました。ライプツィヒ2年目も、50曲以上の教会カンタータを作曲しています。毎週、違う曲を演奏するだけでも大変なのに。脱帽。

それにしてもライプツィヒの人々、ほぼ毎週、バッハの新作カンタータを聴くことができたわけですね。激務が続くバッハに同情しつつ、やはりうらやましいですね。

  1. 久保田慶一『バッハ キーワード事典』春秋社、2012年、p. 44。
  2. 前掲書、p. 28。彼女は3年後に亡くなりました。

Comments closed