30. 10月 2013 · (157) 《ロザムンデ》:シューベルトと劇音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

台風一過の秋晴れの中、聖光学院管弦楽団 第9回定期演奏会にいらしてくださったみなさま、どうもありがとうございました。前半は古典派ハイドン&モーツァルト、後半は前期ロマン派シューマンというラインナップ、楽しんでいただけましたでしょうか。最後は、古典派とロマン派を橋渡しするシューベルトの、《ロザムンデ》から第3幕後の間奏曲で、しっとり締めくくりました。というわけで恒例のアンコール特集は、劇付随音楽《キプロスの女王、ロザムンデ》(D797)について。

ウィーン(に限らずほとんどの都市)で音楽家として富と名声を得る最も確実な方法は、オペラで成功すること。かのベートーヴェンも、《フィデリオ》を何度も改訂していましたっけ。シューベルトの努力(と甲斐の無さ)は、ベートーヴェン以上。1811年から27年までの間に少なくとも16(!!)の本格的な劇作品(半数はジングシュピール)を書き始め、そのうち半数を完成させたのに、生前に上演されたのは……たった3つ(いずれも不成功)。そのうちの1つが《ロザムンデ》です。

劇のストーリーは? 台本は残っていないのですが、Karl Schumannによると登場人物は「船乗りたちに育てられた呪われた王女、読んだら死んでしまう毒入りの手紙を持った追跡者、羊飼いたちと暮らさなければならない王子。不思議な難破船、幽霊、狩人、羊飼いなどがカラフルなおとぎ話の中に出て来」て(なんだかわかりませんが)、めでたくハッピーエンドに 1

シューベルトが、フェルミーネ・フォン・シェジー(ヴェーバーの《オイリュアンテ》の台本作者)の台本《ロザムンデ》の付随音楽を作るよう説得されたのが、1823年12月の初めころ2。女優エミリー・ノイマンの慈善公演として、アン・デア・ヴィーン劇場で初演されたのが12月20日。

時間が限られていたため、シューベルトは全10曲のうちの半数以上で、以前の作品を再利用しました3。序曲は、前年に完成させたけれど初演できなかったオペラ《アルフォンソとエストレッラ》(D732)序曲。今回演奏した第3幕後の間奏曲は、「もはや私はこの悲しみの重荷に耐えられない」という歌詞で始まるリート《苦悩する人 Der Leidende》(D432)に基づいています(2つ目の短調部分。下のYouTube参照)。また第1幕後の間奏曲は、もとは《未完成交響曲》の終楽章であった可能性が指摘されています。理由の1つは本格的なソナタ形式の楽章であること4。もう1つはロ短調であること。(32)《未完成交響曲》はなぜ未完成か?で述べたように、この時代、オーケストラ曲がロ短調で書かれるのは非常に珍しいことでした。

最後に、《魔王》(D328)のような劇的表現に優れたシューベルトが、劇音楽の分野で成功できなかった理由は5

  • 規模の大きな音楽を構成したり、劇的要素を積み重ね発展させていく力が、彼に欠けていた
  • 当時のヴィーンのドイツ語オペラ環境が良くなかった(2つの宮廷劇場は経済的問題に直面。郊外の3劇場も同様。しかも、ロッシーニ旋風が吹き荒れていた)
  • メッテルニヒが導入した厳格な検閲制度のため題材が限られ、それを嫌ったプロの台本作者がヴィーンからいなくなってしまった

経験(成功体験)から学ぶことができなかったシューベルト。《ロザムンデ》も台本が弱く、上演は2回で打ち切りに。でも、10曲の付随音楽は彼の劇音楽の中で最も賞賛され、演奏され続けています。

  1. Steven Ritter のCD評(MD&G Records、Audiophile Audition)より。でも彼自身は「貧しい未亡人に育てられたロザムンデ王女は、17歳の誕生日に新しい支配者としてキプロスの人々に示され、愛と陰謀の中に巻き込まれる」と書いていて、Karl Schumannからの引用と少々矛盾しています。
  2. Winter, Robert, “Schubert.” The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.22, Macmillan, 2001, p. 666.
  3. 前掲書、p. 682.
  4. 同上。
  5. 前掲書、p. 681.

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