02. 10月 2013 · (153) 音楽愛好家協会:ウィーンの場合 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(152)  管弦楽団 vs.交響楽団で書いたフィルハーモニー協会と似ているのが、音楽を愛するウィーンの市民や貴族が1812年に設立した、Gesellschaft der Musikfreunde in Wien。直訳するとウィーン音楽友達協会です(楽友協会って名訳!)。自分たちが聴きたい曲の演奏会を主催するために、自前のオーケストラを組織していました。

フィルハーモニー協会はプロ音楽家たちが設立した団体でしたが、こちらは音楽を愛する人々の集まり。会員はもちろんオーケストラ奏者にも、プロやプロの卵たちだけではなくアマチュアが含まれていました。専門家ではありませんから、演奏会でむずかしい曲が取り上げられると大変!

ベートーヴェンの《第九》初演の際、ウィーン宮廷楽団のメンバーだけでは足りなかったため、楽友協会オーケストラのメンバーも参加。ゲネプロの前に、アマチュア団員だけの練習が1回行われましたが((107) 練習は何回?参照)、その程度では足りなかったはず。長くて音楽的に複雑で、つまりすっごく難しいこの曲の初演がうまくいかなかった理由は練習不足。アマとの混成チームであれば、なおさらです1

生まれも育ちもウィーンのシューベルトも、八重奏曲などの室内楽や歌曲が公開コンサートで演奏されるなど、楽友協会とはいろいろご縁がありました。1825年10月、素晴らしい献呈辞をつけて協会に正式にハ長調交響曲(《グレート》)のスコアを贈呈したのに、初演してもらえなかったことは、よく知られていますね。協会の運営委員会は返礼として彼に100フロリン送り、パート譜の写譜も手配したのですが、結局、演奏は見送られました2。とにかく長いし(特に終楽章)、複雑。(上手とは言え)アマチュアも含まれているオーケストラでは、手に余ると判断したのでしょう(シューマンがスコアを「再発見」し、メンデルスゾーンの指揮でライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団が初演したのは、1839年)。

1827年、シューベルトは若干30歳でその協会運営委員に選出されます。また、1828年3月26日(ベートーヴェン没後1周年)には、協会主催によるシューベルトの作品だけ(歌曲や室内楽)の演奏会が開かれました。ホールは満席3。純益は800フロリンに上りました。公務員の数ヶ月分の給料にあたる(生涯初の)大金を手に入れたシューベルトは友人たちにおごり、さらにパガニーニのウィーン公演チケットを購入4

話を戻して。音楽の都ウィーンにプロのオーケストラが誕生したのは意外に遅く、1842年。ウィーン宮廷歌劇場オーケストラのメンバーによる、フィルハーモニッシェ・アカデミー(音楽愛好アカデミー。ここでもフィルハーモニーですね。現在のウィーン・フィルの前身です)。自主運営で、歌劇場での仕事の合間に演奏していたので、42年から48年までに14回の演奏会を催しただけ。定期演奏会が開かれるようになったのは1860年以降です。

  1. 《第九》の作曲を委嘱したロンドンのフィルハーモニック協会オーケストラは、上述のようにプロだけのオーケストラですが、1825年にこの曲を初演した後、1837年まで再演しませんでした。ベートーヴェンの他の8曲の交響曲をほぼ毎年取り上げていたのとは大違いです。
  2. Winter, Robert, ‘Schubert.’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.22. Macmillan, 2001, p. 671.
  3. 現在の楽友協会ホールが建設されたのは1870年。
  4. 前掲書、p. 674.  (33) シューベルトの未完成交響曲たちへのコメントので、エスブリッコさんがこれについて触れておられますが、「貧乏絶頂期」というネットからの転載部分は誤りですね。

Comments closed