21. 8月 2013 · (147) 奏者のやりくり:18世紀のオーケストラ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

古典派初期のオーケストラにおける持ち替えは、オーボエ奏者がフルートも吹く((145) フルートは持ち替えだった参照)だけではありませんでした。18世紀半ばの例をご紹介しましょう。1743年、ライプツィヒの裕福な市民たちが、職業演奏家を経済的に支援しつつ自らが企画運営する、ライプツィヒ演奏会協会を結成(食堂と旅籠を兼ねたガストハウスで行われていた演奏会は、1781年以降、織物業者組合の見本市用建物ゲヴァントハウスで開催されるようになりました1。つまりこれは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の前身オーケストラの話です)。図1は、誕生間もない1746〜48年の演奏会協会の配置図2

図1:ライプツィヒ演奏家協会、1746〜48年

図1:ライプツィヒ演奏会協会、1746〜48年

メンバー(クリックで拡大します)は、フルート1、オーボエ(兼フルート)2、ファゴット3、ホルン2、ファースト・ヴァイオリン5、セカンド・ヴァイオリン5、ヴィオラ1、チェロ2、コントラバス2、チェンバロ1、歌手3(ソプラノ2、アルト1)の計27名。ヴァイオリンが5人ずつなのに、ヴィオラは1人?!

「トラヴェルソ、またはオーボエ」と書いてあるように、オーボエ奏者がフルートを持ち替え。オーボエとフルートが同時に必要な場合は、ファゴット奏者のうちの1人がフルートに。ホルン奏者の1番はヴィオラ、2番はセカンド・ヴァイオリンも担当。トランペットとティンパニが必要な場合は、ファースト・ヴァイオリン奏者1人と第2オーボエ奏者がトランペット、第1ホルン奏者がティンパニに。歌手のうち2人は、ヴィオラの助っ人。声楽が含まれない曲を演奏するときは、歌手も(できるだけ)楽器演奏に加わったのですね。ということは、ヴァイオリン5人ずつにヴィオラが3人(あるいはホルン1番も加わって4人)。一方、歌手が足りない場合は、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンから1人ずつがテノールを、セカンド・ヴァイオリンの1人がバスを歌いました。

左上隅、第1ホルン奏者リーマー氏は大忙し。ホルンが含まれない弦楽合奏曲ではヴィオラを、祝祭的な曲ではティンパニを担当したのでしょう。でも、ティンパニが含まれる曲にホルンも必要だったら(おそらく必要ですよ)、どうしたんでしょうね?? 緩徐楽章のようなティンパニが休みの楽章では、ホルンを吹いたのかな?? 1曲の中で両方演奏した(=ティンパニが休みの部分でホルンを吹いた)とは考えにくいので、第2ホルン奏者だけで間に合わせたのでしょうか。

ハイドンが楽長をしていたエステルハージ侯爵のオーケストラでも、ファゴット奏者がヴィオラとティンパニを担当していましたね((100) ホルン奏者が多い理由参照)。あちらは1772年ですが、やりくりは似た感じ。実は、健康上・年齢上の理由で管楽器を吹けなくなったときに楽師としての地位を失わないように、管楽器奏者に早い段階から弦楽器も並行して学ばせたという、この時代ならではの事情もありました3

ところでこのリーマー氏、管・弦・打楽器をこなすのみならず、ライプツィヒ演奏会協会の年代記も記録していてくれました。図1もリーマー氏に基づく配置図ですが、よく見るとかなり奇妙です。中央のチェンバロ奏者が観客に背中を向けていたというのですが、18世紀の演奏会では、奏者は観客に背中を向けないのがエチケット(オペラの伴奏は別)。それに、客席がこの図の左側にあったとすると、ファースト・ヴァイオリン奏者はセカンド・ヴァイオリンよりも客席から遠いところで演奏し、歌手はさらにその後ろで歌ったことになりますね。普通はこの逆です。リーマー氏の間違いとみなして、チェンバロ奏者は観客に向かって座っていた、つまり図の右側が客席だったとすると、オーボエやフルートよりも手前にファゴットやコントラバス奏者がいたことに。これも普通ではありません。本当にこの配置で演奏したのか、不思議ですね。

  1. 小宮正安『オーケストラの文化史』春秋社、2011、82-84。
  2. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 39 (source: Dörffel, Geschichte der Gewandhausconcerte zu Leipzig, Concert-Direction, 1884, p. 6).
  3. マーリング、大崎滋生『オーケストラの社会史』音楽之友社、1990、255。