《白鳥の湖》のストーリーを説明するためにチャイコフスキーが用いたのは、登場人物と調性を結びつける((122)「音楽の悪魔」参照)だけではありません。今回は、2つの音型とその意味について書きます。
1つ目は、悪の力を表す音型。譜例1は、組曲の第1曲目《情景》、白鳥の主題の後半。虚しく助けを求めるように少しずつ上行しながら、次第に断片的になっていく主旋律に対して、低音はファ#、ミ、レ、ド、シ♭、ソ#、ファ#と、悲劇に引きずり込むように静かに不気味に下降しています。各音の間はすべて半音2つずつの全音音階。半音が存在しないので、導音から主音(社長秘書と社長。(79) ドレミは階級社会?参照)に解決して落ち着くことができません。特殊な音階です。この全音音階の下行形が、悪の力の象徴1。グリンカ以来のロシア音楽の伝統です。
探してみたら、グリンカのオペラ《ルスランとリュドミラ》序曲で見つけました。皆で一目散に走っているような第1主題と、のびのびとした第2主題がチェロによって再現された後、ファゴットやトロンボーン、低弦が2分音符の下行全音音階を奏しています(譜例2A)。実はこれ、新郎ルスランの目の前で新婦リュドミラがさらわれる場面で使われる、悪い魔法使いチェルノモールの動機の予示(譜例2B)。まさしく悪の力ですね。ボロディンの《イーゴリ公》序曲にも、最後に Animato になる16小節前から、トロンボーンとヴィオラ、チェロのパートに下行全音音階があります。
もう1つは、バレエ(および組曲)終曲の「死の動機」。間違いに気づいた王子が絶望するオデットのところに駆けつける冒頭の雄大な旋律は、すぐにオーボエによる白鳥の主題に。アレグロで1拍目を欠いたシンコペーションの伴奏が、アジタート(急き込んで)の雰囲気を作ります。「音楽の悪魔」3全音の和音が併置され、白鳥の主題はだんだん細切れになって切迫。もう1度初めから、白鳥の主題が白鳥の調ロ短調で高らかと奏され、さらに同主調のロ長調に。強拍を3等分する「死の動機」は、ここで登場(譜例3)。幻想序曲《ロメオとジュリエット》の終結部でも、同じリズム型がティンパニによって不気味に奏されます2。
同じリズム型は、《白鳥の湖》第2幕第2曲で「悪魔の動機」としても使われました3。トランペットとトロンボーンが唐突に奏する譜例4は、王子とオデットの語らいを邪魔しに来る、フクロウに身を変えた悪魔ロートバルトの象徴です。音型だけではなく、調も悪魔の調へ短調と関係が深いハ長調で始まります(ヘ短調の属音から始まる長調)。
人物や事象、観念と音楽を結びつけてストーリーを表す手法は、ヴァーグナーらのオペラで多用されました。バレエ音楽でもアダンの《ジゼル》(1841初演)やドリーブの《コッペリア》(1870)などに見られ、チャイコフスキーは帝室劇場の図書館からスコアを借りて研究したそうです。交響曲やオペラの手法、フランス・バレエやロシア音楽の伝統なども取り入れ、登場人物の内面を描き出した《白鳥の湖》。でも、残念ながら評判は良くありませんでした。