20. 2月 2013 · (121) 超悪妻!?! チャイコフスキーの妻 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

ツーと言えばカー、チャイコフスキーと言えば《白鳥の湖》、では、チャイコフスキーの奥さんと言えば? 以下、少々長くなりますが、音楽大事典(平凡社)「チャイコフスキー」から引用:

1877年初夏、チャイコフスキーは……アントニーナ・イヴァーノヴナ・ミリューコヴァという28歳になるかつての教え子から、もし思いがかなわなければ自殺をも辞さないという激しい恋の告白を受けたのである。同性愛者であるといううわさも打ち消したかったであろうし、同情めいた気持ちもあったことが想像される……婚礼は7月18日に行われた。結婚は失敗であった。チャイコフスキーはアントニーナとともに住むという精神的苦痛に耐え切れず、20日後には……妹の住むカメンカへ逃れた。……9月末には再びモスクワに出て妻とともに住み、音楽院の仕事をはじめた。しかし、自殺を試みるまでの精神的危機に陥り、10月6日突然ペテルブルクに逃れた……チャイコフスキーの危機は避けられたが、妻との離婚さわぎはついに決着がつかなかった。のちにアントニーナは別の男といく人かの庶子を産んだが、すべて捨子の家にあずけた。彼女は離婚に賛成せず、その後もチャイコフスキーに手紙を送っては彼を悩ませた1

なんてこった! 気の毒なチャイコフスキー! これなら、ツーと言えばカー、チャイコフスキーと言えば《くるみ割り人形》、チャイコフスキーの奥さんと言えば超悪妻!ですね。初めて会った3日後、2度目のデートでプロポーズなんて、「自殺すると脅されて承諾」したとしか考えられないし……。

ところが、近年の研究で判明した奥さん像は、かなり異なります2。第1に、彼女はチャイコフスキーが音楽理論を教えていたモスクワ音楽院で学んだことはありますが、直接の教え子ではありません。第2に、2人が会ったのはこのときが初めてではなく、5年前の1872年5月。直後にチャイコフスキーは、アントニーナを自作カンタータの初演に招待しています。第3に、アントニーナの結婚してくれなければ自殺するという文言は、チャイコフスキーに決断を迫るようなシリアスな脅しではなく、当時の用途別手紙の例文集にみられるセンチメンタルな文例を手本にしたに過ぎないようです3

チャイコフスキーと、アントニーナ、1788年

チャイコフスキーとアントニーナ、1788年

結婚には、チャイコフスキー側の様々な要因、深刻な経済状況(アントニーナは前年に遺産を相続)、教育の仕事への不満(作曲の時間とエネルギーが減る)、雇い主ニコライ・ルビンシテインへの不満(ピアノ協奏曲第1番に対する否定的な評価など)、結婚して父を喜ばせたい気持ちなどが絡み合っていました。

興味深いのは、アントニーナがチャイコフスキーの死の半年後に出版した回想録の中で、結婚が夫の創造力を枯渇させるだろうという中傷が、別居の原因であったと述べていることです。チャイコフスキーは自分が同性愛者であることが公にされ、家族に迷惑がかかることを恐れていましたが、それだけでは、騒ぎからの回復に何年もかかった理由は説明できません。音楽へのインスピレーションが失われるという不安や恐れが、彼の繊細な神経を痛めつけたという彼女の主張は、真実味をもっています。

それにしても、なぜこれほどまでに彼女が悪者にされなければならなかったのでしょうか。研究者の多くは男性でしたから(!?)悪いのがすべて女のせいにされるのは珍しいわけではありません(「モーツァルトの借金は、妻コンスタンツェが浪費家だったから」など)。チャイコフスキーの場合、兄弟妹たちが団結して兄のイメージを「健全化」。弟モデストが The Life of Petr Il’ich Tchaikovsky で書いた彼女への偏見により、「アントニーナ=夫に災厄をもたらした化け物」という悪妻像が後世に受け継がれていきました。

近年の音楽学研究によって彼女の汚名がぬぐい去られたことは、喜ばしいこと。チャイコフスキーが彼女によって大きな精神的打撃を受けたのは事実ですが、一方的な評価はフェアではありません。アントニーナが離婚に応じなかったのは「和解」の可能性を信じていたからのようですし、弁護士との間に3人の庶子を設けたのは「和解」をあきらめた後4。彼らを捨子の家に預けたのは(無慈悲なように見えますが)名字を届ける必要が無かったからかもしれません。自分で育てるとしたら、チャイコフスキーの名字で届けを出さなければならなかったでしょうから。

というわけで、ツーと言えばカー、チャイコフスキーと言えば《眠りの森の美女》、チャイコフスキーの奥さんと言えば、世間知らずではあったけれど彼女なりに夫のためを考えて生きた女性、ということでいかがでしょうか。

  1. 森田稔「チャイコフスキー」『音楽大事典3』平凡社、1982、1472ページ。
  2. Wiley, Roland John, “Tchaikovsky” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 25. Macmillan, 2001, pp. 154-55.
  3. Poznansky, Alexander ‘Tchaikovsky Research: A Life, 1877′ http://www.tchaikovsky-research.net/en/index.html. 彼は、チャイコフスキーの神経発作も仮病と判明したと書いています。
  4. ‘Tchaikovsky Research: Antonina Tchaikovskaya’(無記名、同上)。

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