23. 1月 2013 · (117) ヴィブラートは装飾音だった (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

作品が作られた当時の演奏習慣を用いるピリオド奏法。「その時代の」という意味ですね。ロジャー・ノリントンらの指揮によって、ピリオド奏法の特徴のひとつとしてかなり広く知られるようになったのが、ノン・ヴィブラート奏法(ここでは、ヴィブラートを全く使わないだけではなく、あまり使わない奏法を含めてこの語を使います)です。しかし、たとえばベートーヴェンの時代になぜ弦楽器をノン・ヴィブラートで演奏していたのか、理由をご存知でしょうか。ヴィブラートはもともと、特別な理由が存在する場合にのみ用いるものだったからです1

中世初期から記述が残るヴィブラート。バロック時代には、ある種の情緒を表現するために使われました。「恐れ」「冷たさ」「死」「眠り」「悲しみ」、あるいは「優しさ」「愛らしさ」などです2。歌詞を持つ声楽曲のみならず器楽曲においても、このような情緒を強調するためにヴィブラートを使うことが許されました。つけても良いのは、アクセントがある長い音だけ。装飾音の一種と捉えられていたのです。音を豊かにするためという現在の目的とは、全く違いますね。

ヴィブラートやグリッサンドのような特別な「装飾」は、アンサンブルではなく独奏に必要なもの3。教本や、フランスの愛好家向け楽譜などに、波線や「x」などでヴィブラートの指示が記入された例もありますが、ごくわずか。どの音につけるかは、演奏家の解釈次第です。ただ、ギターやリュート等の撥弦楽器のための曲においては、情緒とは関係なしに、音の長さを延長する手段としてヴィブラートが許されていました4

18世紀半ば以降は、「甘美さ」などの肯定的な意味あいで捉えられるようになります。ほとんどの音(少なくともほとんどの長い音)にヴィブラートを使う演奏家もいて、レオポルト・モーツァルトは彼の『ヴァイオリン奏法(1756)』第11章「トレモロ、モルデント、その他即興の装飾音について」の中で、以下のように諌めています。

トレモロ(訳注:ヴィブラート)は、『自然の女神』が生んだ装飾音で、長い音に魅力的に使うことができ、優れた器楽家のみならず、賢明な歌い手によっても使われます。(中略)全ての音をトレモロで弾くのは間違いです。演奏者の中には中風持ちのように全ての音を絶え間なく震えされている人がいます。(中略)曲の終わり、または、長い音符で終わるパッセージの終わりでは、例えばピアノ(Flügel、Clavichord)で弾いたような場合、その音は明らかに後までずっと響き続けます。従って、最後の音、または、長く保持される音はトレモロで装飾します5

それならフレーズの最後に入れるトリルのようなつもりで、それ以外の音にはヴィブラートを使わなければ良いんでしょ……という単純な話ではないようです。レオポルトと同時代に、異なる記述を残したヴァイオリニストもいました。次週に続く。

  1. 小林義武『バッハ 伝承の謎を追う』春秋社、1995、p. 91。
  2. Moens-Haenen, Greta, ‘Vibrato,’  New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 524. このメーンス=ヘーネンの研究によって、バロック時代のヴィブラートの状況が明らかにされたのですが、彼女の Das Vibrato in der Musik des Barock(Akademische Druck- und Verlagsanstalt, 1988)が、日本語訳はおろか英訳もされていないのは残念です。
  3. 同上。
  4. 小林、同上。
  5. モーツァルト、レオポルト『バイオリン(ママ)奏法』塚原晢夫訳、全音楽譜出版社、1974、p. 177。