19. 10月 2012 · (103) ベルリオーズの人生を変えた音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

劇団の看板女優に恋をして、想いが叶えられなかった経験を《幻想交響曲》にしたベルリオーズ(1803〜69)。ロマン派時代にたくさん作られる「標題音楽」の出発点となったこの作品の作曲・初演は、1830年。ベートーヴェンの死のわずか3年後に、このような独創的な音楽が作られたことに、驚かされます(ドイツ音楽とは異なる、フランス音楽の伝統の上に生み出された曲ではありますが)。

エクトル・ベルリオーズは、フランス南部の小村ラ・コート=サンタンドレの、何代も続く旧家の長男として生まれました。父は高名な医者。エクトルも1821年、医学部に通うためにパリに出ます。ところが、もともと医学が嫌いだった彼はオペラ座通いを始め、ついには医学を捨て、音楽の道に進んでしまいます。

いったいベルリオーズは、オペラ座で誰のオペラを見たのでしょう? オーベールやマイヤベーアらがフランス独特の新しい「グランド・オペラ」を作るのは、1830年頃以降のこと。20年代に上演されていたのは、サリエリ、サッキーニ、メユール、スポンティーニ、ボワエルデューらのオペラでした。ベルリオーズは、初期の大規模作品の参考にしています1

でも、彼が深い感銘を受けて心の底から崇拝し続けたのは、グルック。聖フィル第3回定演で《オーリドのイフィジェニー(アウリスのイフィゲニア)》序曲を演奏した、あのグルックです。《幻想交響曲》の斬新さと、とっさに結び付きませんね。でも、1822年にグルックのオペラを抜き書きした楽譜が残されているそうです。

ベルリオーズが生まれて初めて見たオペラのうちの1つが、グルックの《トーリドのイフィジェニー》(1779年、オペラ座で初演)。ギリシア軍の総大将アガメムノン王は、狩りの女神ディアーナの怒りをかったため、順風が吹かず、アウリス(フランス語でオーリド)の港から出陣できません。怒りを鎮めるために、自分の娘イフィジェニーを生贄にするのが《オーリド》のストーリー。《トーリド》はその後日譚で、イフィジェニーはタウリス(フランス語でトーリド)にあるディアーナ神殿の祭司長として生きていて、生贄として連れて来られた弟オレストと再会します。

最近、《トーリドのイフィジェニー》をビデオで見ました2。彼の「オペラ改革」の理念が最も良く表された作品と言われるとおり、歌い手の名人芸を聴かせるイタリア・オペラとはかなり趣が異なります。イフィジェニーは、オレストか彼の親友ピラードのいずれかを生贄に選ばなくてはならず、しかも選んだ方のオレストが自分の弟であることが判明するという緊迫感が、ドラマの推進力。3人が室内で生と死について歌い交わす地味な内容ですが、情感あふれる歌詞とシンプルな音楽が緊密に結びついています。

《トーリド》をはじめとするグルックのオペラに魅せられなければ、両親と不仲になることもなく、送金を減らされ(時に止められ)て貧乏暮らしをすることもなかったベルリオーズ。でも、もし彼がそのまま医者になっていたら、コラムが2つも3つも書けるほど斬新な《幻想交響曲》は作られず、リスト(《幻想》の初演も聴いています)やヴァーグナーらに影響を与えることも無かったでしょう。グルックは、ベルリオーズの人生だけではなく、西洋音楽の歴史も変えたと言えますね。

  1. 以下、Macdonald, ‘Berlioz,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 3, Macmillan, 2001, pp. 385-6 に基づきます。
  2. kuko-cell さんの提供に感謝いたします。

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