16. 2月 2012 · (68) ブルッフが使ったスコットランド民謡(1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

第6回聖フィル定期演奏会では、第4回に引き続き川畠成道先生をお迎えします。今回、2曲共演していただくうちの1曲が、ブルッフの《スコットランド幻想曲》。正式なタイトルは《スコットランド民謡の旋律を自由に用いた、ヴァイオリン独奏と管弦楽とハープのための幻想曲》。バグパイプと並んでスコットランドの人々に馴染み深い、ヴァイオリンとハープを前面に押し出した曲です。

考えてみるとこのタイトル、くどいですよね。古典派以降の「幻想曲」は、ソナタ形式などの定型を使わない、自由に作られた曲のこと。ロマン派の時代には、ポピュラーな旋律にもとづく即興的な音楽を、幻想曲と名付けることもありました(たとえばリストは、《〈魔弾の射手〉の主題による幻想曲》S. 451などのピアノ作品を作っています)。「自由に」作るのが当たり前の幻想曲のタイトルに、わざわざ民謡を「自由に」用いたとブルッフが書き添えたのは、なぜでしょうか。

彼が、どの曲をどのように引用しているかを見てみましょう。スコットランド民謡と言えば、日本でも《蛍の光 Aule Lang Syne》や《故郷の空 Comin’ Thro’ The Rye》がおなじみですね。ドイツ人ブルッフ((4) ブラームスの同時代人 ブルッフ参照)のネタ本は、スコットランドの曲が600近く収められた『The Scots Musical Museum(スコットランド音楽博物館 )』(残念ながら、表紙すら画像が見つけられませんでした)1。これを使って、声楽とピアノ用の《12のスコットランド民謡》も作っています。

日本楽譜出版社ミニチュア・スコアの解説や、音楽之友社の名曲解説全集、日本語版ウィキペディア、多くのCD解説には、《スコットランド幻想曲》序奏部に続く第1楽章で、《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》が引用されると書かれています。譜例1は、『音楽博物館 』のほぼ1世紀後に出版された『Scots Minstrelsie(スコットランドの吟遊詩人の歌)』に収められた楽譜(譜例はいずれもクリックで拡大します)。

譜例1:《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》Scots Minstrelsie(Edinburgh, 1893)より

譜例1:《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》Scots Minstrelsie(Edinburgh, 1893)より

あれあれ、第1楽章の旋律とは全然違います。実は、引用された民謡はこれではなく、《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》なのです。英語版 Wikipedia のように、この2曲は歌詞が異なる同じ曲と書かれているものもあります(3拍子ではあるものの、全く別の曲です。譜例2参照)2。このような誤りが広く流布している状態は、早く正されなければなりませんね。

《森を抜けながら、若者よ》では、「おおサンディ、なぜあなたのネリーが嘆くままにしておくの? 何も喜ばしいことがない時に、あなたがいれば私は救われるのに。小川のほとりで、森を抜けながら、私は溜め息をつく、若者よ、あなたが戻るまで」と歌われます3。譜例2は、『音楽博物館』より早い時期に出版された『A Collection of Scots Tunes(スコットランド歌曲集)』に収められた楽譜。ブルッフが《森を抜けながら、若者よ》の冒頭を、ほぼそのまま引用したことがわかります。

この旋律は、第1楽章だけではなく、第2楽章と第3楽章のつなぎの部分と、第4楽章のコーダでも回想されます(循環形式)。曲全体を統一する大事な主題として、民謡をオリジナルに近い形で使ったのですね。でも、これならタイトルに「自由に」と書き添える必要は無いはず……。まだ謎は解けません。第2楽章以降については (69) に書きます。

譜例2:《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》A Collection of Scots Tunes(Edinburgh, 1742)より

譜例2:《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》A Collection of Scots Tunes(Edinburgh, 1742)より

  1. 全6巻。エディンバラ、1787〜1803年出版、1839年と53年に再版。
  2. ネットの The Mudcat Café 中の、masato sakurai のコメントを参考にしました。
  3. 以下、歌詞は全て、デイヴィッド・グレイソンによる五嶋みどりのCD解説の、渡辺正の日本語訳からです。