前回のヨハン・シュトラウスは人気者に対して、音楽の感じが違うので、ブラームスがシュトラウスを高く評価したというのがピンと来ないというコメントをいただきました。確かに、昨年聖フィルも演奏したブラ1とウィンナ・ワルツは、似ても似つかないかもしれませんね。今回はブラームスを中心にヨハン・シュトラウス2世と同時代の音楽家たちについて補足しながら、2人の音楽を考えたいと思います。

リストやヴァーグナーの進歩的な楽器法を取り入れたワルツや、ウィーンでは初め受け入れられなかったヴェルディの、オペラの旋律を使った作品を書いたシュトラウス1。先に敬意を表された彼らが、シュトラウスを評価したのは当然でしょう。他にも、オペラ作曲家レオンカヴァッロや、同じ名字ですが血縁関係はないリヒャルト・シュトラウス、指揮者ハンス・フォン・ビューロー、ロシアのピアニストでサンクトペテルブルク音楽院の創立者アントン・ルビンシテインなど錚々たる人々が、シュトラウス2世の音楽性を賞賛しています。

でも、極めつけはブラームス。シュトラウスの代表作のひとつであるワルツ《美しく青きドナウ》の一節を書いて、「残念ながらブラームスの作品にあらず」と書き添えたというエピソードは有名です。もっともこれは、シュトラウス2世の(3番目の)奥さんアデーレにサインを求められたブラームスが、彼女の扇に書いたもの2。ブラームスは、高級保養地バート・イシュルで夏を過ごすことが多かったのですが、お隣がヨハン・シュトラウス2世だったそうです。図1は、そこで撮られた写真。シュトラウスは1825年、ブラームスは1833年生まれですが、ブラームスの方が年上に見えませんか?

図1 バート・イシュルでのヨハン・シュトラウス2世とブラームス、1894年

図1 バート・イシュルでのヨハン・シュトラウス2世とブラームス、1894年

ところで、この2人の音楽は本当に大きく異なるのでしょうか。確かにヨハン・シュトラウス2世は、オペレッタも含め娯楽音楽の作曲家。ブラームスのような宗教曲や交響曲などは作っていません。でも、大衆のために量産した小品にもかかわらず、現在までレパートリーとして残っているものがたくさんあります。それぞれの曲からあふれる、品が良く新鮮で親しみやすいメロディーが、時代を超える魅力の元になっていると感じます。

ブラームスの音楽というと無骨な印象があるかもしれません。しかし、彼もロマン派時代の作曲家。常に歌謡性や旋律性を追求していました。歌曲もたくさん作っていますし、4つの交響曲においては、メヌエットでもスケルツォでもない独特の世界を持つ第3楽章に、旋律重視の姿勢がよく現われています。歩む道、取り組むジャンルが異なっていも、ブラームスは、稀代のメロディー・メーカーであるヨハン・シュトラウス2世の音楽センスを尊敬していたのでしょうね。

  1. Kemp, Peter, “Johann Strauss (ii)” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24  (Macmillan, 2001), p. 481。前者はopp. 141, 146など。その前年、良い批評をもらっていたウィーン音楽界の大御所、辛口評論家のハンスリックに「新しいワルツのレクイエム」と退けられました。後者はopp. 112, 272などのカドリーユ。
  2. でも、このエピソードは単なる奥さんへのサービスではありません。ブラームスは、シュトラウス2世のオペレッタ《ヴァルトマイスター(ドイツでポピュラーなハーブの名前)》の初演(1895年)について、ハンスリックに「シュトラウスの見事なオーケストレーションは、モーツァルトを思い出させた」と伝えました。