23. 11月 2011 · (56) アドヴェントと音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

今年(2011年)の場合、11月27日がクリスマスから遡って4つ目の日曜日。キリスト教の新年が始まる、アドヴェント第1主日です1。この日からクリスマスまでがアドヴェント。聖光学院がその教えに基づくカトリックでは、待降節と訳します2。ろうそくを4本立てたアドヴェント・リース(アドヴェント第1主日には1本、第2主日には2本というように、灯りを点けるろうそくを増やしていく)やクリスマス・ツリーなどを用意し、主イエスの降誕に備えて心の準備をする期間です。クラシック音楽は様々な形でキリスト教と密接に結びついていますが、今回はアドヴェントと音楽について考えてみました。

イースター(復活祭)前の受難の季節レント(カトリックでは四旬節)と同様、アドヴェントも悔い改めや節制の期間です3。アドヴェント第2主日以降、カトリック教会の礼拝では、華やかに神を讃えるグローリアやアレルヤを歌いません。ルター派教会でも、この3週間は礼拝でカンタータを使いませんから、バッハも一息つくことができたはずです(バッハの教会カンタータについては改めて書きます)。

(22)《運命》交響曲の初演で触れたように、《運命》や《田園》が公開初演されたアン・デア・ウィーン劇場での1808年12月22日のベートーヴェンの演奏会も、アドヴェントと関係があります。ほとんどの日に複数の劇場でオペラや芝居が上演されていたウィーン。でも、レントの期間とアドヴェントのうち12月16日から24日までは、1777年の勅令で公演が禁止されていたのです。

演奏会を開くなら、この期間が狙い目。劇場も借りやすいし、仕事が休みのオーケストラ奏者たちを雇うこともできます。なにより、多くのお客さんを見込むことができます。

ただ、寒い! ベートーヴェンの有力なパトロンの1人ロプコヴィツ侯爵のボックス席で聴いていた、作曲家で文筆家ヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、この演奏会について以下のように記しています。

われわれは物凄い寒さのなかを6時半から10時半まで耐え忍び……(中略)多くの演奏間違いがわれわれの忍耐心をひどく苛立たせはしたものの、私にはこの極めて温厚で思いやりのある[ロプコヴィツ]侯と同じように、コンサートがすべて終わる前にその席を立つことはできませんでした。(中略)歌手とオーケストラはまったくの寄せ集めで、この難曲揃いの演奏曲目の完全なリハーサルは一度たりともすることができなかったのです。(中略)この厳しい寒さでは、この美人 [独唱をしたキリツキー嬢] が今日は歌うよりも震えていることの方が多かったからといって、彼女を恨むわけにはいかないでしょう。われわれだって狭いボックス席で毛皮とマントにくるまりながら震えていたのですから。(中略)ベートーヴェンが神聖なる芸術的熱心さのあまり聴衆や場所のことを考えないで、[合唱幻想] 曲を途中で止めさせ、最初からもう1度やり直すよう叫んでしまったから……私が彼の友人たちともどもいかに困惑したか、おわかりでしょう。あの瞬間、もっと前に会場を出る勇気を持っていたなら、と思いましたよ(後略)4

劇場が閉まっているアドヴェント最後の期間は、演奏会が目白押し。同じ日にはブルク劇場で、ハイドンの作品による、音楽家未亡人協会のためのチャリティー・コンサートも行われています。「是非とも聴きたかった」とベートーヴェンの演奏会を選んだライヒャルト、大変でしたね。

  1. キリスト教の主の日は日曜日。ギリシア正教会など、新年が異なる教会もあります。
  2. ルター派教会も待降節。英国国教会(聖公会)では降臨節。正確には、11月30日かそれに最も近い日曜日の、前日土曜日の日没からアドヴェントが始まります。
  3. 英国国教会では大斎節。
  4. 「神聖なる強情さが生む誤解」『ベートーヴェン全集5』(講談社、1998)、154〜6ページ。予定ではミルダーが歌うはずだったのですが、ベートーヴェンが原因の口論のために出演を拒否し、急遽、キリツキーが代わりに歌いました。失敗したのは寒さのせいもありますが、実力と経験の無さが主原因でした。