27. 10月 2011 · (52) なぜ管弦打楽と呼ばないのか:管絃と管弦 part 1 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

「オーケストラを管弦楽ではなく、管弦打楽と正確に訳そう!」というのは、日本中の打楽器奏者さんたちの、心の叫び (!?) ではないでしょうか。管&弦楽器だけではなく打楽器も必要な「オーケストラ」(語源は (29) オーケストラは「踊り場」だった!? 参照)を、管弦打楽ではなく管弦楽と訳すのは、確かにとても不公平! しかしこの訳語には、1千年以上の歴史を持つ日本の伝統音楽「雅楽」が、影響しているのです1

雅楽は、5世紀から9世紀にかけて大陸(特に中国の唐)から伝来した楽舞が、日本古来の歌舞と並存して定着したものです。華やかな貴族社会の儀式と結びついて洗練され、今日まで受け継がれてきました。舞の伴奏のための音楽「舞楽」に対して、9世紀ごろに日本で再編成された器楽合奏の形式を「管絃」と呼びます2

「管絃」は、貴族たちが互いに技量を披露し合いながら、合奏を楽しむために作られたジャンルと考えられます。平安時代の中頃には、天皇家や貴族層のたしなみとして「詩歌管絃」が広く浸透しました。『源氏物語』にも登場する、桜や月の鑑賞、元服や着袴などの儀式の際に天皇や公卿らが催した管絃の集まりを、「御遊(ぎょゆう)」と呼びます。「花」=桜だったように、「遊び」=雅楽のアンサンブルだったのですね。

管絃に必要な楽器は以下のとおりです。( )内の数字は、図1の数字と対応しています。

  1. 吹きもの (管楽器) : 横笛(おうてき⑥)、篳篥(ひちりき⑦)、笙(しょう⑧)
  2. 弾きもの (絃楽器) : 楽箏(がくそう④)、楽琵琶(⑤)
  3. 打ちもの (打楽器) : 鉦鼓(しょうこ①)、楽太鼓(②)、鞨鼓(かっこ。羯鼓とも③)
図1 管絃の楽器配置

図1 管絃の楽器配置

もともと日本には20種以上の楽器が伝来したそうですが、管絃の編成は三管ニ絃三鼓。この中で平安時代の貴族たちが好んで演奏したのは笙、篳篥、横笛、琵琶、箏などに限られていました。図2では貴族たちがこれら5種類の楽器を演奏しています(左から、篳篥、琵琶、箏、横笛、笙)。一方、アンサンブルに必須の打ちものは、雅楽の職業演奏家である楽人たちが務めました。図2の打楽器奏者はいずれも部屋の外で演奏していて、身分が違うことがわかります3

図2 住吉物語絵巻 断簡(東京国立博物館蔵 鎌倉時代)

図2 住吉物語絵巻 断簡(東京国立博物館蔵 鎌倉時代)

さて、時代は移り明治維新。世襲で雅楽の秘曲を伝承してきた楽人たちは、雅楽の保存とともに西洋音楽の伝習に取り組むことになりました。初めに吹奏楽を学びますが、室内での陪食や宴会に適した音楽の必要性を訴え、明治12年末に「西洋管絃楽協会」が発足4。楽人たちの自主活動として管絃楽の伝習が始まりました。奏する楽器は異っていても、同じ器楽アンサンブル。雅楽と同じ管絃楽の名で呼ぶのは、ごく自然な成り行きだったのでしょう……5

打楽器奏者の皆さま、以上のような長〜い歴史的背景を考慮し、オーケストラ→管弦楽という訳を大目にみてくださるよう、お願いいたします。決して打楽器をないがしろにするわけではありません。このコラムにおいてはこれまで同様、「管弦楽」の語の使用を避け、なるべく「聖光学院管弦楽団」ではなく「聖フィル」を用い、言及が必要になった時は、バルトークの《弦チェレ》ではなく《げだチェレ》という表記を使いたいと考えています。

  1. このコラムのきっかけになった Percussion Players Networkを紹介してくださったhitom-2.25さんにお礼申し上げます(コラムではオーケストラを音楽の種類として書きました)。また、助言してくださった htm3nkmrさんとo3kanさん、どうもありがとうございました。
  2. この糸へんの「絃」が当用漢字に含まれないため、戦後、同音の漢字「管弦」で書きかえられるようになりました。
  3. 明らかに「管絃」という用語に影響していると思われますが、このあたりの事情が書かれた書物を見つけられませんでした。ご存知の方は教えてください。図1、2は『別冊太陽:雅楽』(平凡社、2004)から。他に、寺内直子『雅楽を聴く:響きの庭への誘い』(岩波新書、2011)、増本伎共子『雅楽入門』(音楽之友社、2000)などを参考にしました。11/11/3追記:(53) 打楽器は部屋の外 ?! 管絃と管弦 part 2 もご覧ください。
  4. 塚本康子『十九世紀の日本における西洋音楽の受容』(多賀出版。1993)、pp. 251-2。
  5. 1883年生まれの音楽学者田辺尚雄は、楽語の漢語訳に批判的で、大正14年に出版した『音楽概論』でもコンチェルトについて「例の漢学癖の人は之れを競奏楽と呼んで居る」と書いているそうです。しかし「管絃楽を以て伴奏せしめる」という説明が続くことから、彼が管絃楽という用語は批判せずに受け入れ、使用していたことが伺えます。伊藤和晃「近代日本語における西洋音楽用語の流入と定着の様相」『横浜国大国語研究29』(2011/3)、p. 74。