24. 8月 2011 · (43) シベリウスと《フィンランディア》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

フィンランドを代表する作曲家シベリウス(1865〜1957)は、父方、母方双方にスウェーデン人の血が混ざっていて、エリート層の言語でもあったスウェーデン語で育ちました1。しかし、1890年から1年間のウィーン留学中にフィンランド語の文化に傾倒し始め、後に、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』を題材に、数々の作品を生み出すことになります。

12世紀以来のスウェーデン統治から離れ、1809年からロシア帝国の支配下に置かれたフィンランド。スカンディナヴィア半島の根元に位置するこの国は、超大国ロシアと地続きです。皇帝ニコライ2世は1899年に2月宣言を発布し、自治権を剥奪。言論や集会が制限され、フィンランド最大の新聞が休刊に追い込まれます。表現の自由を奪われたジャーナリストたちは、同年11月に『歴史的情景』という愛国的な舞台劇の上演を企画。シベリウスはその音楽を担当しました。

翌1900年、パリ万博でのヘルシンキ・フィル公演が決定。このヨーロッパ遠征公演用に既作の改訂を進めていたシベリウスに、匿名の手紙が届きます2。公演を飾る序曲のような音楽を作り、「それに『フィンランディア』という名前を付けるべきだ」という内容でした。『フィンランディア』とは、「フィンランドを賞賛する」という意味です3

シベリウスは新しい曲を作らずに、『歴史的情景』の付随音楽の最終曲《フィンランドは目覚める》を、交響詩に改作します。曲が象徴する内容と、この挑発的なタイトルが結び付いたのでしょうか。ただ、ロシア当局の厳しい検閲のため、初演(遠征の壮行会)ではフィン語でフィンランドを指す《スオミ》、遠征先ではさらに無難な《祖国》というタイトルにせざるを得ませんでした。《フィンランディア》の名は、1901年2月10日のヘルシンキ・フィル演奏会で使われ、定着したそうです4

支配国ロシアの圧力と、それにさらされるフィンランドの絶望を表すような、金管楽器による重苦しく威圧的な音楽で始まる《フィンランディア》。長調に変わると、勇壮で伸びやかな勝利の歌が何度も繰り返され、さらにその後、喜びを静かに噛みしめるような「賛歌」の旋律が、木管楽器により浮かび上がります5。この「賛歌」の冒頭を金管楽器が高らかに歌い上げて、曲が閉じられます6

心に留めておいていただきたいのは、この曲が作られた時点ではまだ、フィンランドは独立国家ではなかったという事実です。フィンランドが独立したのは、ロシア革命により帝政が倒れた1917年のことでした。《フィンランディア》は、ロシアの支配に従うことを余儀なくされていた国民に、フィンランドの誇りを訴え、士気を鼓舞し、輝かしい勝利のイメージを与え続けたのです。

  1. Hepokoski, James, “Sibelius” in The Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 23 (Macmillan, 2001), p. 319.
  2. 神部智『シベリウス:交響詩《フィンランディア》ミニチュア・スコア解説』(音楽之友社、2010)、p. vii。
  3. 同書、p. iii。
  4. 同上。
  5. 後に合唱曲《フィンランディア賛歌》に改編されるこの旋律は、同じフィンランドの作曲家エミール・ゲネッツの合唱曲《目覚めよ、フィンランド》(1882)に影響されたと考えられます。Hepokoski, p. 328.
  6. この現行版まで、シベリウスはコーダを2度改訂しています。

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