20. 7月 2011 · (38) ドボコンを読み解く試み その2 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(36) ドボコンに込められた想いを読み解くを読んだ方から、初演で指揮したドヴォルジャークは、引用について楽団員に明かしたのだろうかと尋ねられました。プライベートな「裏事情」がこれほど知れ渡ってしまったのはなぜ? ドヴォルジャークのヨゼフィーナへの初恋や、《ひとりにして》が彼女のお気に入りだったことは、実は家族から聞き取りをもとにシュウレクが1954年に書いた伝記が源だそうです1

ドボコン第2楽章と第3楽章における《ひとりにして》の引用について、もう少し考えてみたいと思います。

「病気で臥せっている、寂しい」というヨゼフィーナの手紙(1894年11月26日付)を受け取ってから、第1楽章を完成させ(12月12日)第2楽章に取りかかるまで、ドヴォルジャークは引用について考える時間が十分あったはずです。第2楽章での《ひとりにして》は、molto espressivo と指示された独奏チェロによる引用も、独奏チェロが装飾を加えながら木管楽器とともに繰り返す2度目の引用も、全体の中にごく自然に溶け込んでいます2

一方第3楽章の引用は、コーダ(=結尾部)改訂の際に加えられました。ヨゼフィーナが亡くなったのが1895年5月27日で、改訂が終わったのは6月6日。このため、改訂はしばしばヨゼフィーナの死がきっかけと説明されます。

しかし Smaczny(この名前の発音がわからなくて、カタカナ書きに出来ません……)は、いずれにしろコーダを書き直す必要があったと述べています3。第1楽章の堂々とした第1提示部(独奏チェロが加わるまでの部分)がポイントであるこの協奏曲に、初稿の40小節のコーダはものたりなく感じられたはずだからです。改訂後のコーダは95小節。この拡大のおかげで終楽章は、先立つ2つの楽章の規模と荘重さにふさわしく締めくくられています。

コーダにおける第1楽章第1主題の引用と、独奏ヴァイオリンによる《ひとりにして》長調版の引用はわかりやすいのですが、その後に、この2つを組み合わせた引用があることをご存知ですか。《ひとりにして》の旋律は、冒頭のオクターヴ跳躍を除くと、どんどん下降していきます(譜例1参照)。したがって、485小節目から独奏チェロが奏でる下降の音型も、《ひとりにして》の変形とみなすことができますし、これを支える弦楽器の音型は、第1楽章第1主題の変形ですね(譜例2参照)4

譜例1 第3楽章469小節アウフタクト〜

譜例1 第3楽章コーダ《ひとりにして》の引用(469小節アウフタクト〜)

譜例2 第3楽章485小節〜

譜例2 第3楽章コーダ、第1楽章第1主題と《ひとりにして》を組み合わせた回想(485小節〜)

カザルスが「最後の呼吸の瞬間––英雄の死の描写」と解釈したという、独奏チェロの動き(492小節、譜例2の x )が ppで締めくくられた後、アンダンテ・マエストーソ ff の中でトロンボーンが奏でるのは、第3楽章主題の拡大型5。アレグロ・ヴィーヴォでファースト・ヴァイオリンが奏でるのは同じく縮小型です。終楽章のコーダで来し方を振り返る、循環形式によるみごとな結末です。

ドヴォルジャークが、この曲の委嘱者であるヴィハンが終楽章用に書いたカデンツァを強く拒否したというエピソードも、ヨゼフィーナへの想いと結びつける解説書が多いようですが、練りに練った構成を崩されたくなかったからと考えるべきでしょう。プライベートな要素もさりげなく折り込みつつ、それを普遍化するのに成功しているところも、ドボコンが名曲とされる所以ではないでしょうか。

  1. Šourek, Otakar. Život a dílo Antonín Dvořáka (The Life and Works of Antonín Dvořak), vol. 1: 1841-1877 (Prague, 1954).
  2. 第2楽章の引用について、(36)のコラムで、ドヴォルジャークがより率直な第5連の意味を念頭においたのではないかと書いたのは、これら2回の引用の性格があまりに異なるため、普通であれば当然であるはずの1回目の引用が第2連、2回目が第5連の意味を暗示するとは考えにくいと思うからです。
  3. Smaczny, Dvořák: Cello Concerto, Cambridge Univ. Press, 1999, pp. 40-41. 彼は、ドヴォルジャークが完全に音楽的な理由から(つまりヨゼフィーナの死とは無関係に)コーダの改訂を考えていた可能性もあると指摘しています。
  4. この2つの旋律を組み合わせた部分を、Smaczny は「もしもヨゼフィーナへの愛が受け入れられていた場合のドヴォルジャークの人生を想像させる」と評しています(同書 p. 83)が、私にはちょっと飛躍し過ぎのように思われます。この部分は、ヴァイオリン独奏による引用が与える特別な印象を、和らげていますね。
  5. 同書 p. 84.

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