29. 6月 2011 · (35) モーツァルトのホルン協奏曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

モーツァルトの協奏曲の中で、鍵盤楽器、ヴァイオリンに次いで多いのは、ホルンのための作品です。1862年のケッヘルの主題目録では、アレグロ2つだけで第2楽章を欠くニ長調が第1番、完成作3つ(いずれも変ホ長調)が2〜4番とナンバリングされました(他に楽章の断片が3つ存在)。しかし現在では、2番→4番→3番→1番の順序で成立したと判明しています1

演奏機会が多い第3番 K.447 は、充実した内容や、特殊な楽器編成(オーボエとホルンの代わりに、クラリネットとファゴットが2本ずつ)から、後期の作品と考えるのが自然です。ところがこの曲は、モーツァルトが1784年2月から亡くなるまで、詳細に書き込んでいた全自作品目録((23) 意外に几帳面だった(!?)モーツァルト参照)に、記入されていません。そのためケッヘルは、目録を書き始める直前の作品と考え、1783年5月27日の日付入りの自筆譜が残る第2番 K.417 の次にしました。

近年、モーツァルトの筆跡研究から1787年成立説が浮上し、それが五線紙の研究によって裏付けられました。この曲の自筆譜と同じ五線紙は、1787年に作曲された《ドン・ジョヴァンニ》だけにしか、使われていなかったのです2。様式研究だけで作品の成立年代を推定するのは、危険なことも多いのですが(もしもベートーヴェンの第3番と第4番の交響曲の作曲年代がわからなかったとしたら、普通は、規模が大きく複雑な3番《エロイカ》の方が、後に作られたと思いますよね)、この曲は推定と実際が一致した例です。モーツァルトが目録に記入しなかった理由は、謎のままです3

4曲のホルン協奏曲はいずれも、ザルツブルク宮廷楽団のホルン奏者だったイグナーツ・ロイトゲープのために作曲されたようです(モーツァルトはライトゲープとも綴っています。その後ウィーンに移り、チーズ商をしながら演奏を続けました)。ヴォルフガンクより20歳以上も年上ですが、2人がとても親しかったことが、第2番の自筆譜の「ろば、牡牛、馬鹿のライトゲープを憐れむ」という表題?献呈辞?や、第1番の終楽章スケッチの「静かに……君、ろば君、元気を出して」と始まる長い書き込みから窺えます。

第4番 K.495 の自筆譜にはふざけた書き込みは見られないものの、黒、青、赤、緑のインクが使われています(図1参照)4。校訂者ギーグリングのように、色の使い分けによって細かいニュアンスを伝えようとしたのではないかと考える研究者もいますが……。上から独奏ホルン、ヴァイオリンI、II、ヴィオラ、オーボエI、II(空白は休みの部分)、ホルン(1段でIとII。独奏ホルン用とともに、変ホ調用に記譜)、一番下がチェロ、バスのパート。当時の標準的なスコアの書き方です。

Hr Concerto

図1 モーツァルトの自筆譜(ホルン協奏曲第4番 K. 495 第2楽章ロマンツァ最終ページ)

  1. (33) シューベルトの未完成交響曲たちで、《未完成》交響曲のナンバリングの混乱についてを書いていたとき、ホルン協奏曲のケースが頭に浮かびました。4曲中3曲が同じ調ですから、もしもナンバリングが正しい順番に変更されていたら、とても面倒なことになっていたでしょう。ケッヘルがつけたジャンル別の旧番号が広く知られているために、未だに「モーツァルトの交響曲は41曲」と思われたりする側面はあるものの((14) モーツァルトが作った交響曲はいくつ?参照)、ナンバリングを変更せず、必要な場合は旧番号をかっこに入れて表記するシステムに感謝!です。
  2. 渡辺千栄子「協奏曲」『モーツァルト事典』、東京書籍、1991。
  3. 1797年という、不思議な日付(モーツァルトの死の6年後)が記入された自筆譜が存在する、第1番ニ長調 K.412/514 (386b)も、推定成立年が大きく変わりました。ミステリーのような研究プロセスは、別の機会にご紹介したいと思います。
  4. Mozart Neue Ausgabe sämtlicher Werke 14-5, ed by Giegling, Bärenreiter, 1987, p. XXIII。Ars_longa氏のご協力に感謝します。

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