08. 6月 2011 · (32)《未完成交響曲》はなぜ未完成か? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

聖フィル♥コラムを書く時にいつも一番苦労するのは、短くまとめること。でも今回は、すごく短く仕上がりそうです。

問い: 第5回定演で取り上げる《未完成交響曲》はなぜ未完成か?
答え: わかりません。

おわり。

……というわけにもいかないので、このロ短調交響曲に関して「わかっていること」をまとめます1

  1. 表紙に、シューベルトのサインと、ウィーン、1822年10月30日と記入された自筆スコアを、アンゼルム・ヒュッテンブレンナーが1865年まで保有していた。このフル・スコアには1、2楽章全体と3楽章冒頭が書かれ、残りの五線紙は白紙。
  2. アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは1815年、ウィーン宮廷楽長サリエリの弟子になり、先輩弟子であるシューベルトと知り合った2
  3. シューベルトは1823年4月6日に、グラーツのシュタイアーマルク音楽協会の名誉会員に迎えられ、同協会の会員であったアンゼルムは同年9月に、ウィーンに住む弟のヨーゼフを介してシューベルトにその証書を届けた。
  4. シューベルトは1823年9月20日付の手紙の中で、シュタイアーマルク音楽協会に感謝し、「近いうちに自分の交響曲のスコアを送る」と述べた。
  5. ピアノ・スケッチが存在する3。最初の数ページは失われていて、1楽章は最後約1/3のみ。2楽章は完成稿とほとんど一致。3楽章のスケルツォは、譜例1の真ん中あたりや一番下の段に見られるように、ところどころ左手パートに空白があるものの、ほぼ完成。トリオは16小節しか書かれておらず、しかも右手のみ。
  6. その後、シューベルトの自筆スコアの続き(第3楽章スケルツォの10〜20小節。裏側は白紙)が発見された。第3楽章冒頭9小節が書かれたページの次のシートが切り取られていて、新しく見つかったシートの端は、スコアに残る部分と一致する。切り取ったのはおそらくシューベルト本人。スケルツォ冒頭の9小節は、第2楽章の最後が書かれた裏に書き込まれていたために残された4

譜例1《未完成》ピアノ・スケッチ第3楽章24〜100小節部分(クリックすると拡大できます)

シューベルトは《未完成》のスコアを、名誉会員資格の返礼として進呈したのでしょう。しかし、なぜお礼に未完の交響曲スコアを送ったのか、なぜ完成させなかったのかは、わかりません。

ピアノ・スケッチの途切れ方から、シューベルトは3楽章の作曲中に、突然中断したと推測されます。1楽章、2楽章とも3拍子で作曲し、3楽章スケルツォもやはり3拍子なので行き詰まったとか、書きかけの3楽章が凡庸で放棄したとか、2楽章までで完成していると考えてそれ以上作るのをやめたとか、いろいろな説があります(個人的には、いずれの説も説得力に欠けると感じます)が、確実なのは、映画『未完成交響楽』(1933)の名せりふ「わが恋の成らざるが如く、この曲もまた未完成なり」という理由ではないということくらいです。

偶然が重なって、スコアを渡した方も受け取った方も忘れてしまったのでしょうか。ロ短調という、当時のオーケストラ曲には非常に珍しい調を選択していることなど、野心的な作品を計画していたように思われます。実はこの時期、規模の大きな器楽曲は途中で放棄されたものが多く、未完成の交響曲もロ短調だけではありません。この続きは、また改めて書きます。

  1. Schubert: Symphony in B minor, Revised, ed. by Chusid. Norton, 1971.
  2. シューベルトがアンゼルムの弦楽四重奏曲第1番を主題にピアノ変奏曲を作曲(D573)したり、アンゼルムがシューベルトの《魔王》に基づくワルツ (!!) 作って出版したこともありました。アンゼルムが故郷グラーツに帰ってからも交流は続きます。
  3. 音楽におけるスケッチとは絵画におけるそれと同様に、メロディーなどのアイディアをラフに書き付けたもの。シューベルトの場合、完成された交響曲にはピアノ・スケッチは存在しません。
  4. Landon, Christa. “New Schubert Finds” MR, XXXI/3, 1970.