21. 3月 2011 · (19) 独り立ちする「交響曲」 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , ,

17世紀の末に、ウヴェルチュール(フランス風序曲)と対をなすような形でオペラの序曲として誕生した「交響曲」シンフォニーア。オペラやコンサートの開幕を告げる曲にすぎなかった「交響曲」が、ようやく演奏会のメイン・プログラムに昇格する時がやってまいりました。ドイツ人ヴァイオリニストにして目先の利く興行師、ヨハン・ペーター・ザロモン(1745〜1815)がロンドンで行った「ザロモン・コンサート」が、その転換点と考えられます。

ザロモンは、約30年間勤めたエステルハージ家の契約から自由になったハイドンをロンドンに迎え、1791年と翌年に、新作交響曲6曲(93〜98番)を含む彼の作品を中心に据えた、各12回の予約演奏会を開催します。1794年と翌年には、ハイドンの第2期ザロモン交響曲と呼ばれる99〜104番の初演を含む、21回の予約演奏会が行われました。

これらの演奏会は「二部にわかれ、第二部のはじめにハイドンの大序曲、すなわち交響曲が演奏された。この順序は、全部のザロモン演奏会を通じてつねに守られた。これは、遅刻者たちも席に着いて場内がすっかり落ち着いてから、心ゆくまで交響曲を聴かせようという配慮にもとづくものであった」1

メイン・プログラムの一部として真ん中に据えられたとは言え、交響曲は第2部の「序曲」。その後に、独唱や協奏曲が続きます2。しかし、ロンドンの聴衆がハイドンの交響曲を、コンサート最大の呼び物と考えていたのは、第1期最初のザロモン演奏会を報じる新聞記事からも明らかです。

ハイドンによる新しい大序曲(交響曲第96番)は、最大の喝采を浴び(中略)、聴衆は魅了され、満場の希望によって、第2楽章がアンコールされた。つぎに第3楽章をもう一度繰り返すよう熱心に求められた。(後略)3

イギリスでは、庶民も聴くことができる公開コンサートが17世紀末に一般化し、ロンドンはパリと並ぶ音楽の先進地でした。聴衆の耳も、肥えていたことでしょう。会場のハノーヴァー・スクエア・ルーム(1773年〜75年建設)は、800人以上を収容できました4。また、ザロモンが率いたオーケストラは総勢約40名と規模が大きく、表現力も優れていたと思われます。

もちろんハイドンも、聴衆が「ソリストのいない協奏曲」である交響曲を楽しめるように、コンサート・マスターのザロモンを始め、管楽器奏者の独奏をあちこちに織り込んだり、突然の転調やゲネラル・パウゼ、予想を裏切る強弱変化など、ウィットに富む音楽作りを心がけています5。「交響曲を聴きに音楽会へ行く」という発想の大転換は、このような様々な条件が整って初めて可能になったのです。

余談ですが、先の新聞評が示す当時の演奏習慣についても述べておきます。現代の演奏会では、アンコール用の小曲を別に用意するのが慣例ですが、実は、「もう一度」というアンコール(仏語)の語源が示すように、聴衆が気に入ったプログラムの一部を、再び演奏するのが本来の形でした。

ちなみに、聴衆は音楽が気に入ると、曲が終わらなくても拍手することもありました。モーツァルトは父レオポルトに宛てて、《パリ》交響曲初演の際、第1楽章の途中に聴衆のために用意した「しかけ」が、拍手喝采を浴びたと書いています(この「しかけ」がどの部分を指すのかは不明)。後にメンデルスゾーンは、楽章が終わるたびに起こる拍手を嫌って、全楽章が連続して演奏されるヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲を書きましたが、たしかにロマン派の協奏曲の多くは、第1楽章が終わると拍手したくなりますよね。この、楽章間に拍手する習慣は、20世紀になっても残っていたそうです。

  1. 大宮真琴『ハイドン新版』音楽之友社、1981、125ページ。たとえば、聖フィルが第1回定期演奏会で取り上げた、ハイドンの交響曲第100番《軍隊》の初演時のプログラム(1794年第8回ザロモン予約演奏会。3月31日午後8:00開演、ハノーヴァー・スクエア・ルーム)は、以下のとおりでした。

    第1部
    1. 交響曲(プレイエル、1757〜1831)
    2. 男声歌手のアリア
    3. 弦楽四重奏曲(ハイドン)
    4. 女声歌手の独唱
    5. ハープ協奏曲

    第2部
    1. 交響曲《軍隊》(ハイドン)
    2. 男声歌手の独唱
    3. ヴァイオリン協奏曲(ヴィオッティ、1755〜1824)
    4. 女声歌手の独唱

  2. この第1部と第2部を交響曲で始める形は、ベートーヴェンが《運命》交響曲を初演する際も引き継がれます。これについては、また改めて書きます。
  3. 1791年3月12日付けダイアリー紙。大宮、前掲書、126ページ。
  4. 石多正男『交響曲の生涯』東京書籍、2006年、86ページ。
  5. 実はこの「ソリストのいない協奏曲」(独奏楽器群なしの、伴奏楽器群だけによる協奏曲という意味で「リピエノ・コンチェルト」と呼びます)も、交響曲成立への重要な源の1つです。